マイセン 【龍と鳳凰文・黒・320010】 18.5cmプレート・501 40%Off
マイセン 【龍と鳳凰文・黒・320010】 18.5cmプレート・501 40%Off
ホワイトデーフェア (本日~ 3/14) ラッキーセブン 7枚限定
通常30%オフ ホワイトデーフェア (本日~ 3/14) 40%Off
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。
主だったお店を調べましたて コーヒーC/Sの予約販売をしているお店を一軒見つけましたが シリーズ名をドラゴンブラックとしており 本来中国の吉祥文「龍と鳳凰文」から来ておるのに物足りない名前です。マイセンでもドラゴンカラーとしており 王室専用の格式あるシリーズですから 鳳凰の翻訳が難しかっても せめて「ドラゴンとフェッニックス」ぐらいにはして欲しいものです。いずれにしろ どうやら新品は お熟成アインにしか無く したがって一番安いようです。
マイセン社は制作を半分に抑えて プライスを大幅に上げております。なかなか誰も手が出ないようです。 苦労していれても 割引ができません。損を覚悟で10%ffがせいぜいです。
それではお熟成アインは 何故 お安いのでしょう ? それは売るのが下手だからです。大概のお店は 色々な宣伝広告をしたり ポイントをつけたりしてさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では如何ほど積んでもこれだけの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。
龍と鳳凰
龍の起源は 中国神話にあります。時代によって多少は変わりますが おおむね 天子の龍は5爪 貴人の龍は 4爪 3爪とされ 天子以外の 5爪龍は 死罪にもあたるとされておりました。インドに渡った龍(中国伝来のインドの龍は 禁断の5爪でなく 4爪でした。)は コブラ信仰のナーガとなり 中国への仏教伝来とともに 土俗の蛇神信仰として里帰りしました。日本へも 蛇神信仰として 伝来しました龍は 3爪でした。従って よしんば柿右衛門の龍があったとしても 3爪のはずです。
既に 精査して 私の予言通り 年代も明確な柿右衛門の3爪龍を 『柿右衛門手丸文龍磁板(延宝年間1677年建立の西本願寺内・腰瓦)福岡県立美術館所蔵』で証明しておりますが 美術骨董品店の写真に色々興味深いものがありまして 少し考察を述べてみたいと思います。
初代柿右衛門の考案した濁手の柿朱風に似た マイセン磁器の龍と鳳凰文を 柿右衛門の模倣とされておる何人かの先生を散見しました(日本の定説?)が 多分 書物に惑わされておるのでしょう(どちらが後先かは判りませんが) 柿右衛門の濁手の柿朱絵は そのあでやかさに魅了された本家景徳鎮もいち早く取り入れております。そして模倣品を 自家薬籠中の物として ヨーロッパに輸出しております。その中に中国の夫婦和合の吉祥文 龍と鳳凰 があったのか 又は鮮やかな柿朱に魅せられたヘロルトが アウグスト強襲王がお気に入りで 王専用にしていた龍と鳳凰文に取り入れたかのいずれかでしょう。 いずれにしろマイセンの龍は 中国伝来の4爪龍で 日本の先生方が柿右衛門の3爪龍の模倣としているのは間違いです
龍鳳呈祥
ちなみに 鳳凰は 皇后の象徴とされており 皇帝の象徴である龍との 夫婦和合の吉祥文であります。(このことからも 柿右衛門の龍に 中国の鳳凰を組み合わせた説は 偽説であるのは明白です。もともと中国の夫婦和合の吉祥文だったのですから。)
本家柿右衛門でさえ 高い技術が要されることから七代(1711年-1764年)以降に濁手の作品は中絶してしまう。
費用対効果を重んじるヨーロッパでは (日本の職人の経験と勘による高度な技術に 刃が立たなかったのかも?) 端から濁手は受け入れられておりません。
日本では 柿右衛門十二代と十三代(1906年-1982年)は1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。濁手の製作技術は1955年に国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択され、1971年には重要無形文化財に指定されている(保持団体として柿右衛門製陶技術保存会を認定)。
このマイセンの 龍と鳳凰文 に似た作品 この気炎のような爪に似た柿右衛門の龍が沢山あります。異国情緒を煽り 竜の神秘性を高めるために 日本で独創性を打ち出したいためか 写実を離れ 抽象化してるものが多いです。
色絵柿右衛門龍鳳凰に宝珠五寸皿
更に 精査して 爪も年代も明確な柿右衛門の龍をやっと探しあてました。やはり 私の予言通りの3爪でした。
初代柿右衛門は(1596慶長~1666寛文)の人ですから 初期柿右衛門(1596~1679)の4代目(1640~1679)の作品になります。銘は見ておりませんが 所在と 所蔵先からみて 下記認定は信じられます。
(柿右衛門手丸文龍磁板(延宝年間1677年建立の西本願寺内・腰瓦)福岡県立美術館所蔵
後期,現代柿右衛門は3爪と4爪少しですが 13代柿右衛門とされている品に面白い品を見つけました。
藍柿右衛門の皿(江戸中期) 3爪
後期,現代柿右衛門は3爪と4爪少しですが 13代柿右衛門とされている品に面白い品を見つけました。
13代柿右衛門 染錦龍地紋香合(3爪) 十三代酒井田柿右衛門の染錦龍鳳凰文花瓶(4爪)
爪の数も描き方も 龍の絵姿も 凡そ同じ人の作品とは思えないのですが?
日本の定説
ジャポネズリ
柿右衛門の描く龍に 鳳凰を配した ヘロルト原画
柿右衛門の 余白の美に傾倒する アウグスト強襲王のお気に召し ザクセン王宮専用となる。
シノワズリ
マイセンを知らず マイセンを語り 柿右衛門の上面しか見ず 柿右衛門を語る 間違った文献に惑わされておりましたが ここに訂正します。 2015.04.23.
再度精査の上 訂正します。2016.02.20
マイセンの龍は 4爪です。中国伝来の龍は 禁断の5爪下の 4爪だったのです。ヘロルトが この龍の顛末を知っていたかどうかはさておいて シノワズリの龍を高貴なものとして アウグスト強襲王に 献上しました。王が柿右衛門の余白の美に傾倒されていたことは事実ですが アウグスト強襲王のお気に召し ザクセン王宮専用(磁器宮殿 ヨハネウムナンバー)になった この龍と鳳凰文を 柿右衛門贔屓と結びつけたのは 話を面白くする人の日本贔屓がなせる業でしょう。 当初より 龍と鳳凰文が シノワズリに分類されていることを 絵空事の世界では 知る由もないでしょう。(柿右衛門説への疑問は マイセンのシノワズリ分類との不整合性から生まれました。)いずれにしろ この名作は 時につれ ペインターたちにより 約30種もの 組み合わせパターンを 生み出され 歴代の王達を楽しませました。第1次世界大戦末期 1918年に ザクセン王国は 瓦解するのですが 国立窯となっても この人気作品は 1730年ごろ以来 約3世紀 折あるごとに 作り続けられ 復刻というより 「偉大なマンネリズム」 の代表作の1つとなっております。
ちなみに 鳳凰は 皇后の象徴とされており 皇帝の象徴である龍との 夫婦和合の吉祥文であります。(このことからも 柿右衛門の龍に 中国の鳳凰を組み合わせた説は 偽説であるのは明白です。もともと中国の夫婦和合の吉祥文だったのですから。) 余談ですが アンティックを 楽しむのはいいですが 夢 金儲けにしょうはいけません。欲に付け込まれて 玄人に多くのガラクタを掴まされている方が 鑑定してくれと持ってこられたものの中に ヨハネウムナンバーを偽って 仰々しく金数字を 蛇足したものがありました。
「龍と鳳凰文」 ザクセン王宮専用だった この名作は 時につれ ペインターたちにより 約30種もの 組み合わせパターンを 生み出され 歴代の王達を楽しませました。第1次世界大戦末期 1918年に ザクセン王国は 瓦解するのですが 国立窯となっても この人気作品は 1730年ごろ以来 約3世紀 折あるごとに 作り続けられ 復刻というより 「偉大なマンネリズム」 の代表作の1つとなっております。
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
3人の天才ヨハンによる伝統の 復刻版
ヨハン・フリードリヒ・ベトガーによる ヨーロッパ 初の ポースレーン
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット・シェープ
ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト原画
マイセン 人気のシノワズリ
ヘロルトは ウィーン・パキエの窯から持ち出した フンガーの顔料や ベトガーの いがみ合う2人の高弟 ケーラーと シュテルツェルが合成した顔料に 自らも開発した顔料〔1723.4.30.秘密主義のケーラーは亡くなるのですが ヘロルトは 看病にかこつけて うまく臨終に立ち会い 彼の隠し金庫の鍵を盗み 顔料調合秘術書を 盗み写し 重要個所は 巧妙に破り盗り(この悪行は 15年後に発覚するのですが すでに宮廷画家として確固たる地位を確立しており マイセン委員会でも手出しならず 不問に付されました)自ら開発したマッフル窯で 柿右衛門に勝るとも劣らない 鮮やかな色彩の顔料16色を完成。〕を以って 彼独特のシノワズリを 確立していきました。ヘロルトのシノワズリは 欧州にて 高い評価を受け 果てには 本家中国にまで 影響を及ぼすほどでした。
こだわりの 岡本 笥椎(ジュンスイ)
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあらば 椎の葉に盛る 有間皇子 万葉集 巻二(一四二)
(私の号する笥椎とは 華やぐ器 実用の器を意味します。まあ茶碗というところです。)
マイセン 【龍と鳳凰文・黒・320010】 18.5cmプレート・501 45%Off のお求めはコチラ
どの小さい写真もクリックで拡大
シェープ
マイセン 【 龍と鳳凰文・黒・320010 】 ホワイトデーフェア お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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錬金術師-5
白磁を焼くのにも 従来の窯では 安定した高温を得がたく ベトガーは 新耐火煉瓦を使った 大型の窯を 開発しました。それから1世紀 この窯を しのぐものの 出現はありませんでした。この2例を見ても やはりベトガーは 素晴らしい 科学技術者でありました。美しい白磁の完成の喜びに 浸る間もなく 彼を待っていたのは 絵付けの顔料 特に 染付用の 呉須(酸化コバルト)の完成に 追われました。古磁器以来 千数百年の発達史を経て 中国の景徳鎮で 14世紀に 発明された呉須は ベトガーにとって 秘法発見に匹敵する程 困難なものでした。
(アウグスト王は もたつくベトガーへのあてつけか 後に大王と呼ばれる フリードリヒ・ヴィルヘルム二世の祖父 最大のライバル フリードリヒ一世の シャルロッテンブルク宮殿の 染付磁器約120点と 竜騎兵600騎とを 交換しております。奇しくも マイセンで呉須の まぐれ当たりのあった1717年の事でした。息子のアウグスト三世は 後に この竜騎兵600騎を含む フリードリヒ二世軍に 大敗を喫します。この交換の結末を 故祖父・父王達は知る由も無いのですが・・・・)
あせるベトガーに 呉須は微笑む事無く 彼の いがみ合う徒弟ケーラーとシュテルツェル達(アウグスト強襲王は この一番争いの諍いを口実に 呉須調合の成功者に 支払うとの報奨金10万ターレルの公表を反故にして「漁夫の利」を得 2人は「鷸蚌の争い」を演じた)により 何度かの偶然の末 彼の亡くなる 1719年に それは 完成するのですが 死の床にあったベトガーに 朗報は 届いたのでしょうか・・・・・
「欧州磁器戦争史 錬金術師 ベトガー 5」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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龍と鳳凰
龍の起源は 中国神話にあります。時代によって多少は変わりますが おおむね 天子の龍は5爪 貴人の龍は 4爪 3爪とされ 天子以外の 5爪龍は 死罪にもあたるとされておりました。インドに渡った龍(中国伝来のインドの龍は 禁断の5爪でなく 4爪でした。)は コブラ信仰のナーガとなり 中国への仏教伝来とともに 土俗の蛇神信仰として里帰りしました。日本へも 蛇神信仰として 伝来しました龍は 3爪でした。従って よしんば柿右衛門の龍があったとしても 3爪のはずです。
既に 精査して 私の予言通り 年代も明確な柿右衛門の3爪龍を 『柿右衛門手丸文龍磁板(延宝年間1677年建立の西本願寺内・腰瓦)福岡県立美術館所蔵』で証明しておりますが 美術骨董品店の写真に色々興味深いものがありまして 少し考察を述べてみたいと思います。
初代柿右衛門の考案した濁手の柿朱風に似た マイセン磁器の龍と鳳凰文を 柿右衛門の模倣とされておる何人かの先生を散見しました(日本の定説?)が 多分 書物に惑わされておるのでしょう(どちらが後先かは判りませんが) 柿右衛門の濁手の柿朱絵は そのあでやかさに魅了された本家景徳鎮もいち早く取り入れております。そして模倣品を 自家薬籠中の物として ヨーロッパに輸出しております。その中に中国の夫婦和合の吉祥文 龍と鳳凰 があったのか 又は鮮やかな柿朱に魅せられたヘロルトが アウグスト強襲王がお気に入りで 王専用にしていた龍と鳳凰文に取り入れたかのいずれかでしょう。 いずれにしろマイセンの龍は 中国伝来の4爪龍で 日本の先生方が柿右衛門の3爪龍の模倣としているのは間違いです
龍鳳呈祥
ちなみに 鳳凰は 皇后の象徴とされており 皇帝の象徴である龍との 夫婦和合の吉祥文であります。(このことからも 柿右衛門の龍に 中国の鳳凰を組み合わせた説は 偽説であるのは明白です。もともと中国の夫婦和合の吉祥文だったのですから。)
本家柿右衛門でさえ 高い技術が要されることから七代(1711年-1764年)以降に濁手の作品は中絶してしまう。
費用対効果を重んじるヨーロッパでは (日本の職人の経験と勘による高度な技術に 刃が立たなかったのかも?) 端から濁手は受け入れられておりません。
日本では 柿右衛門十二代と十三代(1906年-1982年)は1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。濁手の製作技術は1955年に国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択され、1971年には重要無形文化財に指定されている(保持団体として柿右衛門製陶技術保存会を認定)。
このマイセンの 龍と鳳凰文 に似た作品 この気炎のような爪に似た柿右衛門の龍が沢山あります。異国情緒を煽り 竜の神秘性を高めるために 日本で独創性を打ち出したいためか 写実を離れ 抽象化してるものが多いです。
色絵柿右衛門龍鳳凰に宝珠五寸皿
更に 精査して 爪も年代も明確な柿右衛門の龍をやっと探しあてました。やはり 私の予言通りの3爪でした。
初代柿右衛門は(1596慶長~1666寛文)の人ですから 初期柿右衛門(1596~1679)の4代目(1640~1679)の作品になります。銘は見ておりませんが 所在と 所蔵先からみて 下記認定は信じられます。
(柿右衛門手丸文龍磁板(延宝年間1677年建立の西本願寺内・腰瓦)福岡県立美術館所蔵
後期,現代柿右衛門は3爪と4爪少しですが 13代柿右衛門とされている品に面白い品を見つけました。
藍柿右衛門の皿(江戸中期) 3爪
後期,現代柿右衛門は3爪と4爪少しですが 13代柿右衛門とされている品に面白い品を見つけました。
13代柿右衛門 染錦龍地紋香合(3爪) 十三代酒井田柿右衛門の染錦龍鳳凰文花瓶(4爪)
爪の数も描き方も 龍の絵姿も 凡そ同じ人の作品とは思えないのですが?
日本の定説
ジャポネズリ
柿右衛門の描く龍に 鳳凰を配した ヘロルト原画
柿右衛門の 余白の美に傾倒する アウグスト強襲王のお気に召し ザクセン王宮専用となる。
シノワズリ
マイセンを知らず マイセンを語り 柿右衛門の上面しか見ず 柿右衛門を語る 間違った文献に惑わされておりましたが ここに訂正します。 2015.04.23.
再度精査の上 訂正します。2016.02.20
マイセンの龍は 4爪です。中国伝来の龍は 禁断の5爪下の 4爪だったのです。ヘロルトが この龍の顛末を知っていたかどうかはさておいて シノワズリの龍を高貴なものとして アウグスト強襲王に 献上しました。王が柿右衛門の余白の美に傾倒されていたことは事実ですが アウグスト強襲王のお気に召し ザクセン王宮専用(磁器宮殿 ヨハネウムナンバー)になった この龍と鳳凰文を 柿右衛門贔屓と結びつけたのは 話を面白くする人の日本贔屓がなせる業でしょう。 当初より 龍と鳳凰文が シノワズリに分類されていることを 絵空事の世界では 知る由もないでしょう。(柿右衛門説への疑問は マイセンのシノワズリ分類との不整合性から生まれました。)いずれにしろ この名作は 時につれ ペインターたちにより 約30種もの 組み合わせパターンを 生み出され 歴代の王達を楽しませました。第1次世界大戦末期 1918年に ザクセン王国は 瓦解するのですが 国立窯となっても この人気作品は 1730年ごろ以来 約3世紀 折あるごとに 作り続けられ 復刻というより 「偉大なマンネリズム」 の代表作の1つとなっております。
ちなみに 鳳凰は 皇后の象徴とされており 皇帝の象徴である龍との 夫婦和合の吉祥文であります。(このことからも 柿右衛門の龍に 中国の鳳凰を組み合わせた説は 偽説であるのは明白です。もともと中国の夫婦和合の吉祥文だったのですから。) 余談ですが アンティックを 楽しむのはいいですが 夢 金儲けにしょうはいけません。欲に付け込まれて 玄人に多くのガラクタを掴まされている方が 鑑定してくれと持ってこられたものの中に ヨハネウムナンバーを偽って 仰々しく金数字を 蛇足したものがありました。
「龍と鳳凰文」 ザクセン王宮専用だった この名作は 時につれ ペインターたちにより 約30種もの 組み合わせパターンを 生み出され 歴代の王達を楽しませました。第1次世界大戦末期 1918年に ザクセン王国は 瓦解するのですが 国立窯となっても この人気作品は 1730年ごろ以来 約3世紀 折あるごとに 作り続けられ 復刻というより 「偉大なマンネリズム」 の代表作の1つとなっております。
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。
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3人の天才ヨハンによる伝統の 復刻版
ヨハン・フリードリヒ・ベトガーによる ヨーロッパ 初の ポースレーン
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット・シェープ
ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト原画
マイセン 人気のシノワズリ
ヘロルトは ウィーン・パキエの窯から持ち出した フンガーの顔料や ベトガーの いがみ合う2人の高弟 ケーラーと シュテルツェルが合成した顔料に 自らも開発した顔料〔1723.4.30.秘密主義のケーラーは亡くなるのですが ヘロルトは 看病にかこつけて うまく臨終に立ち会い 彼の隠し金庫の鍵を盗み 顔料調合秘術書を 盗み写し 重要個所は 巧妙に破り盗り(この悪行は 15年後に発覚するのですが すでに宮廷画家として確固たる地位を確立しており マイセン委員会でも手出しならず 不問に付されました)自ら開発したマッフル窯で 柿右衛門に勝るとも劣らない 鮮やかな色彩の顔料16色を完成。〕を以って 彼独特のシノワズリを 確立していきました。ヘロルトのシノワズリは 欧州にて 高い評価を受け 果てには 本家中国にまで 影響を及ぼすほどでした。
こだわりの 岡本 笥椎(ジュンスイ)
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあらば 椎の葉に盛る 有間皇子 万葉集 巻二(一四二)
(私の号する笥椎とは 華やぐ器 実用の器を意味します。まあ茶碗というところです。)
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錬金術師-5
白磁を焼くのにも 従来の窯では 安定した高温を得がたく ベトガーは 新耐火煉瓦を使った 大型の窯を 開発しました。それから1世紀 この窯を しのぐものの 出現はありませんでした。この2例を見ても やはりベトガーは 素晴らしい 科学技術者でありました。美しい白磁の完成の喜びに 浸る間もなく 彼を待っていたのは 絵付けの顔料 特に 染付用の 呉須(酸化コバルト)の完成に 追われました。古磁器以来 千数百年の発達史を経て 中国の景徳鎮で 14世紀に 発明された呉須は ベトガーにとって 秘法発見に匹敵する程 困難なものでした。
(アウグスト王は もたつくベトガーへのあてつけか 後に大王と呼ばれる フリードリヒ・ヴィルヘルム二世の祖父 最大のライバル フリードリヒ一世の シャルロッテンブルク宮殿の 染付磁器約120点と 竜騎兵600騎とを 交換しております。奇しくも マイセンで呉須の まぐれ当たりのあった1717年の事でした。息子のアウグスト三世は 後に この竜騎兵600騎を含む フリードリヒ二世軍に 大敗を喫します。この交換の結末を 故祖父・父王達は知る由も無いのですが・・・・)
あせるベトガーに 呉須は微笑む事無く 彼の いがみ合う徒弟ケーラーとシュテルツェル達(アウグスト強襲王は この一番争いの諍いを口実に 呉須調合の成功者に 支払うとの報奨金10万ターレルの公表を反故にして「漁夫の利」を得 2人は「鷸蚌の争い」を演じた)により 何度かの偶然の末 彼の亡くなる 1719年に それは 完成するのですが 死の床にあったベトガーに 朗報は 届いたのでしょうか・・・・・
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磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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