ヘレンド 【トゥッピーニの角笛】 25cmプレート1524 45%Off
ヘレンド 【トゥッピーニの角笛】 25cmプレート1524 45%Off
お中元ギフトフェア ( 6/14~ 7/10) 2枚限定
トルコエカイユ(鱗文)を 白いスリップ状磁土を盛り上げて 装飾すると言う 手の込んだ逸品。トルコブルー(ターコイズ)を基調に 4度の窯入れにして 成り立つ細密画の傑作。
遅咲きのヘレンドですが シノワズリに独自性を打ち立てましたように シノワズリ鱗文を 洋食器に取り入れたのも ヘレンドのオリジナルです。フランス語でエカイユは 鱗のことですが フランスの名窯で エカイユを 取り入れているのは 寡聞にて 聞きません。リモージュの矜持が ヘレンドの後追いを許さなかったのでしょうか?
コペンハーゲンでは 王立になった1775年から マイセンに影響を受けたブルーフルーテッドにエカイユがありますが 伊万里写しのジャポネズリで派違いです。
海を渡る 英国ロイヤルウースター社にて 創窯の18世紀半ば スケールブルー(染付の鱗文)によるシノワズリが流行しました。これは 大きな白抜きの地模様で ヘレンドの小紋と違い 発想や 表現の違いから 同根ではありません。本来 鱗文は 三角文として 古くから各民族に共通して創造、再生、繁殖などの 呪模様として存在していました。
牧羊国 オスマン(トルコ)皇帝への献上品
神聖ローマ帝国(実質:オーストリア=ハンガリー帝国)はヨーロッパの東南端で オスマン(トルコ)と何度か戦火を交え 対峙しておりました。(ハンガリーは 1526年 モハーチの戦いに敗れ オスマン(トルコ)に 国土の1/3を占領され その後150年間 支配下に置かれた。この支配を解いたのがハブスブルグ家ですが また その統治下におかれました。1848年のハンガリー革命はウィーン体制の事実上の崩壊となった1848年革命の一つであり、ハプスブルク朝の下にあるオーストリア帝国からハンガリー王国が独立しようとした革命である。また、ペテーフィ・シャーンドル等を含むこの革命の参加者はハンガリーの歴史に於いて国家的な英雄と見做されている。また、この革命が始まった3月15日はハンガリーで国民の祝日となっている。)
群衆の前でネムゼイ・ダルを朗読するペテーフィ・シャーンドル(ジッチー・ミハーイ画)
1870年代 訪欧のパーディシャー(スルタン)に この高度な美術品により 国力・文化を誇示し 一方で 荒ぶる夷 懐柔のため下賜(神聖ローマ帝国側) 献上(オスマン帝国側)したものです。(散見しますが トゥッピーニの角笛が贈られたのを ペルシアのシャハン・シャーとするのはまちがいです。ペルシアとは イランのことですが 荒ぶるイランに比べ ペルシアというと なんとなくエキゾチックですね。シャーというと ペルシャと思いたくなるんですね。でも 歴史的に間違いです。)
今回 オスマン帝国皇帝(パーディシャーを欧風に)を特定するために 帝国の歴史を2時間がかりで紐解きました。
アブデュルアズィズ(1830- 1876年)は、オスマン帝国の第32代皇帝(在位:1861年 - 1876年)。
パリを訪問するアブデュルアズィズ(馬車中央の人物。右隣はナポレオン3世)
1867年 パリで開催中だった万国博覧会の視察を目的に、オスマン帝国の皇帝としては史上初となる西欧諸国歴訪を行った。その折に列強の持つ装甲艦に魅了された彼は、のちに海軍力の増強に力を入れ、その結果この時期のオスマン帝国海軍は軍艦の保有数だけ(中古艦多く 欧列強の傭兵による莫大な維持管理に 国を傾けた。)では世界有数となった。また、パリ、ロンドン、ウィーンなどの博物館も視察し、帰国後にイスタンブール考古学博物館を設立した。
産業革命に先駆けた欧米列強に オスマン帝国は追う立場にありました。 オーストリア世襲皇帝(1804年 神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し フランツ一世として初代オーストリア皇帝に) 3代目フランツヨーゼフ一世は 陰るオーストリア・ハンガリー帝国の矜持から 牧畜国オスマン帝国に優越性の底意を 慇懃無礼に この逸品を 下賜したつもりでしょう。
つい一言 蘊蓄を 傾けたくなる逸品が あるんですね。アインには!
花絵画 中国画 細密画を 良く卒業した人に
与えられるサインロゴ マスターペインターの称号
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注しております。
ロカイユ・シェープ
ヘレンドには オジア,ロカイユ,リッセ,エステルハージ,シェープがあります。面白いのはバロックを代表する(マイセン#02,ジノリのベッキオ)をロカイユ(ロココ)と名付けています。ネオクラシック時代創窯のヘレンドにあっては 多分時代を読み誤ったのでしょう。もしくは 歴史を古く箔付けするのに バロックでは 誇張が過ぎるし ロココどまりにしたのでしょうか? 1部学者に ロココを バロックの延長とする説はありますが バロックをロココとするのは 明らかな間違いです。
1864年閉窯の大先輩ウィーン窯の 受け入れは 絵のみ (金緑彩パセリ文, ワインリーフetc.) で シェープは デコラティブな貴族趣味を旨とする ヘレンドにあっては 奇を衒わぬ機能性を 旨とする ウィーンとは 相容れず その影響は見られません。
ヘレンド 【トゥッピーニの角笛】 25cmプレート1524 45%Off のお求めはコチラ
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シェープ サインロゴ
ヘレンド 【 トゥッピーニの角笛 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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モンゴリアン・フン族が 一時 ヨーロッパを席捲しました。ハンガリーを主要領土とする 初の独立国家を 打ち立てました。 やがて ゲルマン等に 押し返されるのですが ハンガリーは フン族が踏みとどまって 建国した 数少ない国です。(現ハンガリー第三共和国は ウラル山脈を起源とする マジャル人の896年をもって建国としている。当時 ハンガリーでは最大でも マジャル人48.1%で過半数に及んでいないが。1996年は 建国1100年記念年で 清の花籠が発表されました。)マイセンのシノワズリのコピーから やがて オリジナリティー・シノワズリへの発展は フン族の末裔の 血がなせる業でしょう。
「欧州磁器戦争史 秘法漏洩 番外編 ヘレンド窯」 詳しくは コチラをクリック して下さい。
「ウィーンを嫌い ヘレンドに 親しんだエリザベート」
「2代目国立窯後 フィシェルの孫 3代目ファルカシャージ」
「ウィーン窯閉窯時の ヘレンドへの係わり」
「ウィーン窯と ヘレンドの4シェープ」 加筆しました。
秘法漏洩-1,2,3,の次にあります。
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遅咲きのヘレンドですが シノワズリに独自性を打ち立てましたように シノワズリ鱗文を 洋食器に取り入れたのも ヘレンドのオリジナルです。フランス語でエカイユは 鱗のことですが フランスの名窯で エカイユを 取り入れているのは 寡聞にて 聞きません。リモージュの矜持が ヘレンドの後追いを許さなかったのでしょうか?
コペンハーゲンでは 王立になった1775年から マイセンに影響を受けたブルーフルーテッドにエカイユがありますが 伊万里写しのジャポネズリで派違いです。
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牧羊国 オスマン(トルコ)皇帝への献上品
神聖ローマ帝国(実質:オーストリア=ハンガリー帝国)はヨーロッパの東南端で オスマン(トルコ)と何度か戦火を交え 対峙しておりました。(ハンガリーは 1526年 モハーチの戦いに敗れ オスマン(トルコ)に 国土の1/3を占領され その後150年間 支配下に置かれた。この支配を解いたのがハブスブルグ家ですが また その統治下におかれました。1848年のハンガリー革命はウィーン体制の事実上の崩壊となった1848年革命の一つであり、ハプスブルク朝の下にあるオーストリア帝国からハンガリー王国が独立しようとした革命である。また、ペテーフィ・シャーンドル等を含むこの革命の参加者はハンガリーの歴史に於いて国家的な英雄と見做されている。また、この革命が始まった3月15日はハンガリーで国民の祝日となっている。)
群衆の前でネムゼイ・ダルを朗読するペテーフィ・シャーンドル(ジッチー・ミハーイ画)
1870年代 訪欧のパーディシャー(スルタン)に この高度な美術品により 国力・文化を誇示し 一方で 荒ぶる夷 懐柔のため下賜(神聖ローマ帝国側) 献上(オスマン帝国側)したものです。(散見しますが トゥッピーニの角笛が贈られたのを ペルシアのシャハン・シャーとするのはまちがいです。ペルシアとは イランのことですが 荒ぶるイランに比べ ペルシアというと なんとなくエキゾチックですね。シャーというと ペルシャと思いたくなるんですね。でも 歴史的に間違いです。)
今回 オスマン帝国皇帝(パーディシャーを欧風に)を特定するために 帝国の歴史を2時間がかりで紐解きました。
アブデュルアズィズ(1830- 1876年)は、オスマン帝国の第32代皇帝(在位:1861年 - 1876年)。
パリを訪問するアブデュルアズィズ(馬車中央の人物。右隣はナポレオン3世)
1867年 パリで開催中だった万国博覧会の視察を目的に、オスマン帝国の皇帝としては史上初となる西欧諸国歴訪を行った。その折に列強の持つ装甲艦に魅了された彼は、のちに海軍力の増強に力を入れ、その結果この時期のオスマン帝国海軍は軍艦の保有数だけ(中古艦多く 欧列強の傭兵による莫大な維持管理に 国を傾けた。)では世界有数となった。また、パリ、ロンドン、ウィーンなどの博物館も視察し、帰国後にイスタンブール考古学博物館を設立した。
産業革命に先駆けた欧米列強に オスマン帝国は追う立場にありました。 オーストリア世襲皇帝(1804年 神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し フランツ一世として初代オーストリア皇帝に) 3代目フランツヨーゼフ一世は 陰るオーストリア・ハンガリー帝国の矜持から 牧畜国オスマン帝国に優越性の底意を 慇懃無礼に この逸品を 下賜したつもりでしょう。
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ロカイユ・シェープ
ヘレンドには オジア,ロカイユ,リッセ,エステルハージ,シェープがあります。面白いのはバロックを代表する(マイセン#02,ジノリのベッキオ)をロカイユ(ロココ)と名付けています。ネオクラシック時代創窯のヘレンドにあっては 多分時代を読み誤ったのでしょう。もしくは 歴史を古く箔付けするのに バロックでは 誇張が過ぎるし ロココどまりにしたのでしょうか? 1部学者に ロココを バロックの延長とする説はありますが バロックをロココとするのは 明らかな間違いです。
1864年閉窯の大先輩ウィーン窯の 受け入れは 絵のみ (金緑彩パセリ文, ワインリーフetc.) で シェープは デコラティブな貴族趣味を旨とする ヘレンドにあっては 奇を衒わぬ機能性を 旨とする ウィーンとは 相容れず その影響は見られません。
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モンゴリアン・フン族が 一時 ヨーロッパを席捲しました。ハンガリーを主要領土とする 初の独立国家を 打ち立てました。 やがて ゲルマン等に 押し返されるのですが ハンガリーは フン族が踏みとどまって 建国した 数少ない国です。(現ハンガリー第三共和国は ウラル山脈を起源とする マジャル人の896年をもって建国としている。当時 ハンガリーでは最大でも マジャル人48.1%で過半数に及んでいないが。1996年は 建国1100年記念年で 清の花籠が発表されました。)マイセンのシノワズリのコピーから やがて オリジナリティー・シノワズリへの発展は フン族の末裔の 血がなせる業でしょう。
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「ウィーンを嫌い ヘレンドに 親しんだエリザベート」
「2代目国立窯後 フィシェルの孫 3代目ファルカシャージ」
「ウィーン窯閉窯時の ヘレンドへの係わり」
「ウィーン窯と ヘレンドの4シェープ」 加筆しました。
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