アウガルテン 【ウィーンナーローズ】 ティーC/S・シューベルト型 30%Off
アウガルテン 【ウィーンナーローズ】 ティーC/S・シューベルト型 30%Off
お歳暮ギフトフェア (10/17~12/10) 末広がり 八客限定
アウガルテン・ウィーンが 世界中でどこより安い秘密は
2000年以来 お熟成アインにあります。ピカピカの新品です。
今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産にいただいた マリアテレジアの スクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。
ヨーロッパ大陸のバラは ウィーン様式が元祖で 花と茎枝と葉が自然に描かれ ロココに乗り遅れたマイセンでも 同列です。
島国英国は 連ねたバラの両端に葉を添え花のみの美しさを引き立てるのが主流で 大陸とは1線を画しております。
このシリーズは アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。
マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで 時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。
アウガルテン 【ウィーンナーローズ】 ティーC/S・シューベルト型 30%Off のお求めはコチラ
写真はクリック拡大
反対面 ソーサー絵 取っ手面
アウガルテン 【 ウィーンナーローズ 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
ハプスブルク王家のマリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717年 デュ・パキエ創窯,
1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年
(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に異説がありますが アウガルテン
社に敬意を表して23年説に改めます。) 創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は
マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章とWienを 許されて
おります。学術的にはモールドの継承をもって窯の継承でありますが それが 無いとはいえ
杓子定規に 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう)
ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが
磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われて
おりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を
衒わない 精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として
その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際その白さは 手工芸品時代に近く マイセンや
ウィーン窯の乳白色とは また一味違った美しさです。
日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯(デュ・パキエ)の開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ 売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶めるものです。
余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。
「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
「マリアテレジアは 女帝であったのか?」
「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。
「欧州磁器戦争史 (ウィーン窯) 秘法漏洩 1,2,3,」 詳しくは コチラをクリック してください。
「神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオン」 加筆しました。
「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」
「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」
「ウィーン窯 廃窯後 60年を経て アウガルテン窯 創窯・継承」 加筆しました。
当店は 日夜 洋食器の故事来歴を 文献をあさり 蒐集した現物と照らし合わせ 研鑽し
ます。文献には 記したお国 記した窯の 自己顕示欲から 我田引水 荒唐無稽 挙句は
正反対のものまで 乱暴に対立しております。当店は 一所懸命に 混乱を紐解いていき
ます。洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張
もいただけません。幸い 当店には 四半世紀にわたり 蒐集してきた 膨大な実物がござ
います。岡本は 1年364日 この人達?に 語り掛け 問いかけ 来し方を 教わります。
実物は 恐いですよ,強いですよ。薄っぺらな 小手先の書の自信のなさは 直ぐに看破し
ます。当店の耐震ビルの 一階は店舗ですが ワンフロア100坪の2階から5階までには
当店の気に入ったものから 気には入らないが 永い伝統に生きてきたもの それには
それなりの支持があったのですから そこは謙虚に敬意を表して 蒐集して来た強い味方
さんらで溢れております。よく自分は美に造詣が深く 自分にかなわぬものは・・・・・という
人には与しません。えてして そういう人は まったく方向違いの批判をします。
当店は 己の眼力を養い 愛好家に 最高のものを選んでいただくのが 責務と考えており
ます。己の眼力に自信がなかったころは マイセンならマイセンに 一目置かれておるヨーロ
ッパ代理店を選りすぐり そこを経由して マイセンに厳選制作してもらっておりました。今や
伝統に頼れない新作でも 創窯者の目でもって その窯の伝統の正当性の判別が できる
ようになったのではと 自負しております。愛好家諸兄の ご批判 ご反論の ご教導 お待ち
しております。ご質問も大歓迎です。 管見ながら 精一杯 返答に努めます。
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このシリーズは アウガルテン開窯の年 1923年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズの ピンクのラインの位置を 口縁の頂上に グリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。
マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで 時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。
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1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年
(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に異説がありますが アウガルテン
社に敬意を表して23年説に改めます。) 創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は
マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章とWienを 許されて
おります。学術的にはモールドの継承をもって窯の継承でありますが それが 無いとはいえ
杓子定規に 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう)
ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが
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余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも有名です。
「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
「マリアテレジアは 女帝であったのか?」
「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。
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