マイセン 【ブルーオニオン】 ロンドンシェープC/S・55929 30%Off
マイセン 【ブルーオニオン】 ロンドンシェープC/S 30%Off
海の日記念フェア ( 7/22~ 7/31) 6客限定 青い器
55929 アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが
お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
名前のとおり(マイセンでは 2番煎じを恥じてか ティーC/Sとのみしておりますが 堂々と ニュウロンドンシェープと名乗っても おかしくない 洗練と 貫禄が見て取れます)) 1800年初頭 英国生まれ 英国育ちのシェープです。ほとんど 英国のみで行われましたシェープなので 英国向けに ブルーオニオンを絵付けしたのでしょう。マイセンの写しは 少し高台を広げて 英国本来の 不安定感を 解消しております。
クレッチマー原作 1739年に 中国や 日本の伊万里写し ブルーオニオンを完成。
竹・桃・ザクロ(玉葱)は 不老長寿や 子孫繁栄の 縁起の良い絵柄として 慣れ親しまれ 約3世紀の 長き伝統を 生き続けている 誰知らぬ人なき 銘作です。
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注して 制作してもらったものです。
マイセンに限らず 多くの王立窯は 王国の名誉にかけて 採算無視の 美術工芸品作りに
勤しみます。結果 経営難に陥りますが 面子上 手を抜くわけに行かず破綻の危機を迎えます。
マイセンは 危機に際し 資金を算段する為 他窯の憧れの的 ブルーオニオンの意匠の使用を
フッチェンロイターや カールスバード等にも 有償で許しておりました。
14世紀に景徳鎮で完成した磁器最終の姿「染付」
素磁に手描きし 釉薬をかけた後に 1400゜Cもの高温で焼き付けます。この高温に 耐え
うる 酸化コバルト(呉須)の ヨーロッパでの調合は ベトガーの見果てぬ夢のまま 亡くなる
1719年に いがみ合う2人の高弟 ケラーと シュテルツェルにより マイセンで完了。
マイセン 【ブルーオニオン】 ロンドンシェープC/S・55929 30%Off のお求めはコチラ
写真はクリック拡大
反対面 ソーサー絵・カップ正面 取っ手面
マイセン 【 ブルーオニオン 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
3人の天才ヨハン
1人目はヨハン・フリードリヒ・ベトガー(欧州磁器の父)
錬金術師にて ヨーロッパに 東洋の白磁を もたらした天才です。
2人目は ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト,天才絵付師です。
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
「欧州磁器戦争史 3人の天才ヨハン 1~5」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
海の日記念フェア ( 7/22~ 7/31) 6客限定 青い器
55929 アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが
お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
名前のとおり(マイセンでは 2番煎じを恥じてか ティーC/Sとのみしておりますが 堂々と ニュウロンドンシェープと名乗っても おかしくない 洗練と 貫禄が見て取れます)) 1800年初頭 英国生まれ 英国育ちのシェープです。ほとんど 英国のみで行われましたシェープなので 英国向けに ブルーオニオンを絵付けしたのでしょう。マイセンの写しは 少し高台を広げて 英国本来の 不安定感を 解消しております。
クレッチマー原作 1739年に 中国や 日本の伊万里写し ブルーオニオンを完成。
竹・桃・ザクロ(玉葱)は 不老長寿や 子孫繁栄の 縁起の良い絵柄として 慣れ親しまれ 約3世紀の 長き伝統を 生き続けている 誰知らぬ人なき 銘作です。
当店のお品は 総て 現地在庫を漁らず(現地では B品の販売があり その混入を避けるため) 欧州代理店を通じて 各メーカーに 発注して 制作してもらったものです。
マイセンに限らず 多くの王立窯は 王国の名誉にかけて 採算無視の 美術工芸品作りに
勤しみます。結果 経営難に陥りますが 面子上 手を抜くわけに行かず破綻の危機を迎えます。
マイセンは 危機に際し 資金を算段する為 他窯の憧れの的 ブルーオニオンの意匠の使用を
フッチェンロイターや カールスバード等にも 有償で許しておりました。
14世紀に景徳鎮で完成した磁器最終の姿「染付」
素磁に手描きし 釉薬をかけた後に 1400゜Cもの高温で焼き付けます。この高温に 耐え
うる 酸化コバルト(呉須)の ヨーロッパでの調合は ベトガーの見果てぬ夢のまま 亡くなる
1719年に いがみ合う2人の高弟 ケラーと シュテルツェルにより マイセンで完了。
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3人の天才ヨハン
1人目はヨハン・フリードリヒ・ベトガー(欧州磁器の父)
錬金術師にて ヨーロッパに 東洋の白磁を もたらした天才です。
2人目は ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト,天才絵付師です。
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
「欧州磁器戦争史 3人の天才ヨハン 1~5」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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