マイセン 【御所車花模様】 兼用C/S 30%Off
マイセン 【御所車花模様】 兼用C/S 30%Off
ゴールデンウィークセール ( 4/27~ 5/10) 6客限定
ピカピカの 新品です。
現品 即納
ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット型
シノワズリ
鮮やかな柿朱は 柿右衛門を思わせましたが 余白の美を伴いません。
ここに訂正します。 2015. 04. 27.
ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト,天才絵付師です。
1720年 ヘロルトが パキエの窯を抜けてきた頃の マイセンの絵付けは 一流とは言い
難く ベトガーや シュテルツェルやケラーらが 開発した顔料の色数も 貧相なものでした。
(ベトガーが 持て余した白磁の多くは 磁器街道と呼ばれた水路を通って アウグスブルグ
のハウスマーレライ・無所属の絵付師らに 売り渡されておりました。マイセン社史では
贋作に手を貸す この不名誉な事は あえて触れられておりません。) ヘロルトは パキエ
の窯から持ち出した フンガーの顔料に 自らも開発した顔料を以って 彼独特のシノワズリ
を確立していきました。ヘロルトのシノワズリは 欧州にて高い評価を受け 果てには 本家
中国にまで 影響を及ぼすほどでした。さらに進み アウグスト王が 余白の美が美しいと
絶賛する柿右衛門(ヨーロッパにおいて高値を呼んだ)にも 臆せず挑み 王の満足するヘロ
ルトの「柿右衛門写し」は 欧州二大ジャポネズリの筆頭として マイセンの名声を 弥が
上にも高めました。ちなみに もう一方は ロイヤルクラウンダービーの 伊万里金襴手写し
です。
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どの小さい写真もクリックで拡大
ソーサー絵・カップ正面 取っ手面
マイセン 【 御所車花模様 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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錬金術師-3
しかし ベトガーは 処刑を免れる為の 時間稼ぎに 何らかの成果を あげざる
を得ませんでした。磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった
ベネツィアで 先ず 試みられましたが・・・・・・
「欧州磁器戦争史 錬金術師 1~5」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世
紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオ
リンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を
黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛し
た白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る
多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。
片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の
呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧
問官 チルンハウス(彼とて 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりま
した。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり
非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優
越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋
科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんば
かりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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1720年 ヘロルトが パキエの窯を抜けてきた頃の マイセンの絵付けは 一流とは言い
難く ベトガーや シュテルツェルやケラーらが 開発した顔料の色数も 貧相なものでした。
(ベトガーが 持て余した白磁の多くは 磁器街道と呼ばれた水路を通って アウグスブルグ
のハウスマーレライ・無所属の絵付師らに 売り渡されておりました。マイセン社史では
贋作に手を貸す この不名誉な事は あえて触れられておりません。) ヘロルトは パキエ
の窯から持ち出した フンガーの顔料に 自らも開発した顔料を以って 彼独特のシノワズリ
を確立していきました。ヘロルトのシノワズリは 欧州にて高い評価を受け 果てには 本家
中国にまで 影響を及ぼすほどでした。さらに進み アウグスト王が 余白の美が美しいと
絶賛する柿右衛門(ヨーロッパにおいて高値を呼んだ)にも 臆せず挑み 王の満足するヘロ
ルトの「柿右衛門写し」は 欧州二大ジャポネズリの筆頭として マイセンの名声を 弥が
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を得ませんでした。磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった
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磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世
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リンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を
黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛し
た白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る
多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。
片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の
呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧
問官 チルンハウス(彼とて 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりま
した。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり
非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優
越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋
科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんば
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