アウガルテン 【マリアテレジア】 24cmスーププレート・シューベルト型 40%Off
アウガルテン 【マリアテレジア】 24cmスーププレート・シューベルト型 40%Off
今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが
表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産に いただいた
マリアテレジアのスクェアディッシュは 今も本店に つつましく展示されております。
今だけセール ( 3/19~ 4/ 2) 12枚限定。
お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
このシリーズは 夏の離宮・狩猟の館 アウガルテン城で
マリアテレジアさんが ご使用されていたもの。
ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮 バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章・Wien。モールドの継承が無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう)。ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。
マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで 時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。
余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になっていることでも 有名です。
アウガルテン 【マリアテレジア】 24cmスーププレート・シューベルト型 40%Off のお求めはコチラ
アウガルテン 【 マリアテレジア 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
「マリアテレジアは 女帝であったのか?」
「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。
「欧州磁器戦争史 アウガルテン (ウィーン窯) 秘法漏洩 1,2,3,」 詳しくは コチラを クリック してください。
「神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオン」 加筆しました。
「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」
「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」
「ウィーン窯 廃窯後 60年を経て アウガルテン窯 創窯・継承」 加筆しました。
当店は 日夜 洋食器の故事来歴を 文献をあさり 蒐集した現物と照らし合わせ 研鑽し
ます。文献には 記したお国 記した窯の 自己顕示欲から 我田引水 荒唐無稽 挙句は
正反対のものまで乱暴に対立しております。当店は 一所懸命に 混乱を紐解いていきます。
洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張も
いただけません。幸い 当店には 四半世紀にわたり 蒐集してきた 膨大な実物がござい
ます。岡本は 1年364日 この人達?に 語り掛け 問いかけ 来し方を 教わります。
実物は 恐いですよ,強いですよ。薄っぺらな 小手先の書の自信のなさは 直ぐに看破し
ます。当店の耐震ビルの 一階は店舗ですが ワンフロア100坪の2階から5階までには
当店の気に入ったものから 気には入らないが 永い伝統に生きてきたもの それには
それなりの支持があったのですから そこは謙虚に敬意を表して 蒐集して来た強い味方
さんらで溢れております。よく自分は美に造詣が深く 自分にかなわぬものは・・・・・という
人には与しません。えてして そういう人は まったく方向違いの批判をします。
当店は 己の眼力を養い 愛好家に 最高のものを選んでいただくのが 責務と考えており
ます。己の眼力に自信がなかったころは マイセンならマイセンに 一目置かれておるヨーロ
ッパ代理店を選りすぐり そこを経由して マイセンに厳選制作してもらっておりました。今や
伝統に頼れない新作でも 創窯者の目でもって その窯の伝統の正当性の判別が できる
ようになったのではと自負しております。愛好家諸兄の ご批判 ご反論の ご教導 お待ち
しております。ご質問も大歓迎です。 管見ながら 精一杯返答に努めます。
今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが
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ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オーストリア政府の肝いりで 1923年創窯・継承したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮 バックロゴも ハプスブルグ王家の盾形紋章・Wien。モールドの継承が無いとはいえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう)。ウィーン窯は 当時のマイセンを手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯のアウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても 白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかったのでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味違った美しさです。
マリアテレジアのウィーン窯も フランスロココの模倣から 独自のウィーン様式を確立し 18世紀中葉には マイセンに代わり セーヴルと並んで 時代をリードするほどになりました。1761年 ハンガリーのシュメルニッツで 良質のカオリンが 発掘され 白磁に磨きがかかり 窯印も 粗野な刻印から 高貴な染付となり 美術的名声(第1黄金期)を博していきました。しかし どの窯もそうであったように 飽くなき名声の追求は 莫大な資金を飲み込み 窯の存亡の危機を招きます。1784年 マリアテレジアの息子 フランツ・ヨーゼフ二世皇帝は 帝国の陰りの前に 体面をかなぐり捨て 遂に ウィーン窯を 競売にかけました。しかし 応札は誰も無く やむなく ゾルゲンタール男爵を 経営改革の任に 付けました。彼は ロココから ネオクラシックの流れに 強いウィーンスタイルを主張した 他の追随を 許さぬ美術磁器を 生み出していきました。絶頂の ウィーン窯・第2黄金期は1804年 フランス皇帝に即位した ナポレオンにより 貶められていきました。神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオンに フランツ・ヨーゼフ二世は 神聖ローマ帝国皇帝を廃嫡し オーストリア世襲皇帝となり オーストリアを守ることに手一杯になりました。最後の光芒を放ったビーダーマイヤー(市民革命)様式に見せた ウィーン窯の威厳も 所詮は 徒花となり 1864年 120年の栄光の末 廃窯することになりました。モールドは1部がヘレンドや ウィーンノイシュタット窯や やがて ワーリスなどに流れて行くのですが ハブスブルグ家ほどの資金も情熱もなく 栄光は引き継がれず 贋作のみ 盛んになりました。
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洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張も
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