アウガルテン 【ウィーンナーローズ】 ティーC/S・シュベルト型 40%Off
アウガルテン 【ウィーンナーローズ】 ティーC/S・シュベルト型 40%Off
今だけセール ( 8/20~ 9/ 3) 18客限定
ピカピカの 新品です。
今を去る 一昔 当店の大量発注に アウガルテン・ウィーン窯のオーナーが 表敬訪問に 訪れてくれると言う 光栄に浴しております。手土産にいただいた マリアテレジアの スクェアディッシュは 今も本店に つつましく 展示されております。
このシリーズは アウガルテン開窯の年 1924年に ウィーン宮廷用であった オールドウィンナーローズを 元に 作られました。カントリー調のバラは よりデザイン化され 一回り大きく 後作らしき洗練が 見て取れます。オールドウィンナーローズのピンクのラインの位置を 口縁の頂上にグリーンに替えて移し 簡略化した分 価格を下げています。
アウガルテン 【ウィーンナーローズ】 ティーC/S・シュベルト型 40%Off のお求めはコチラ
アウガルテン 【 ウィーンナーローズ 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
ハプスブルク王家の マリアテレジア女帝が 育てたウィーン窯
(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オースト
リア政府の肝いりで 1923年(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に
異説がありますが アウガルテン社に敬意を表して 23年説に改めます。) 創窯・継承
したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプ
スブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとは
いえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) 。ウィーン窯は 当時のマイセンを
手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品
時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯の
アウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても
白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかった
のでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味
違った美しさです。
余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になったことでも 有名です。
アウガルテン開窯前からですから ウィーン少年合唱団のほうが 先輩になります
日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯の
開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ
売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶める
ものです。
当店は 日夜 洋食器の故事来歴を 文献をあさり 研鑽します。
文献には 記したお国 記した窯の 自己顕示欲から 我田引水 荒唐無稽 挙句は 正
反対のものまで乱暴に対立しております。当店は 一所懸命に 混乱を紐解いていきます。
洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張も
いただけません。幸い 当店には 四半世紀にわたり 収集してきた 膨大な実物がござい
ます。岡本は 1年364日 この人達?に 語り掛け 問いかけ 来し方を 教わります。
実物は 恐いですよ,強いですよ。薄っぺらな 小手先の書の自信のなさは 直ぐに看破し
ます。当店の耐震ビルの 一階は店舗ですが ワンフロア100坪の2階から5階までには
当店の気に入ったものから 気には入らないが 永い伝統に生きてきたもの それには
それなりの支持があったのですから そこは謙虚に敬意を表して 収集して来た強い味方
さんらで溢れております。よく自分は美に造詣が深く 自分にかなわぬものは・・・・・という
人には与しません。えてして そういう人は まったく方向違いの批判をします。
当店は 己の眼力を養い 愛好家に 最高のものを選んでいただくのが 責務と考えており
ます。己の眼力に自信がなかったころは マイセンならマイセンに 一目置かれておるヨーロ
ッパ代理店を選りすぐり そこを経由して マイセンに厳選制作してもらっておりました。今や
伝統に頼れない新作でも 創窯者の目でもって その窯の伝統の正当性の判別が できる
ようになったのではと自負しております。愛好家諸兄の ご批判 ご反論の ご教導 お待ち
しております。ご質問も大歓迎です。 管見ながら 精一杯返答に努めます。
「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
「マリアテレジアは 女帝であったのか?」
「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。
「欧州磁器戦争史 (ウィーン窯) 秘法漏洩 1,2,3,」 詳しくは コチラをクリック してください。
「神聖ローマ帝国皇帝位の簒奪を狙うナポレオン」 加筆しました。
「ウィーン窯・第2黄金期に ナポレオンの毒牙 遂に終焉に」
「1864年 ウィーン窯 閉窯後の 正統性の証 モールドの行方」
「ウィーン窯 廃窯後 60年を経て アウガルテン窯 創窯・継承」 加筆しました。
マリアテレジアさんに付いて
ご存知 マリアテレジアさんは ヨーロッパで 初の女帝になられた方ですが そのことに
難癖をつけて 領土的野心のある プロイセンのフリードリヒ大王や ザクセン(マイセン)
アウグスト王や ロシアなどの干渉を受け シュレジエン戦争に 巻き込まれていきます。
賢明なマリアテレジアさんは 群がる群雄の中 当時最強のフランス・ブルボン王朝と結び
対抗しました。有名な 娘マリーアントワネットの政略結婚が 後の悲劇を 生み出しますが
マリアテレジアさんとしては 国を守ることも大切ですが 娘の幸せを願う相手として 太陽
王の孫ルイ16世は ヨーロッパ一の貴族 ハプスグルグ家の娘に 相応しいと 信じられた
ことでしょう
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(1717 デュ・パキエ創窯,1744年 マリアテレジア帝立,1864年 廃窯)を オースト
リア政府の肝いりで 1923年(文献によると 22年説,23年説,24年説と 創窯年に
異説がありますが アウガルテン社に敬意を表して 23年説に改めます。) 創窯・継承
したアウガルテン窯(アウガルテン城は マリアテレジアの夏の離宮。バックロゴも ハプ
スブルグ王家の 盾形紋章とWienを 許されております。 モールドの継承が 無いとは
いえ 正統性云々は 言わずもがなの事でしょう。) 。ウィーン窯は 当時のマイセンを
手本とすれば 厚手にならざるを得なかったのでしょうが 磁器の研究が進んだ手工芸品
時代には 透き通るような モスリン胎 卵殻胎が 行われておりました。1923年創窯の
アウガルテンは ウィーン窯の美しい絵柄や 機能性重視の奇を衒わない精神は継承しても
白磁本来の透明な美しさが 知られておる近代創窯として その点だけは 譲れなかった
のでしょう。 実際 その白さは 手工芸品時代に近く マイセンの乳白色とは また一味
違った美しさです。
余談ですが アウガルテン城は ウィーン少年合唱団の 寄宿舎になったことでも 有名です。
アウガルテン開窯前からですから ウィーン少年合唱団のほうが 先輩になります
日本でのみ横行する 如何わしい 1718年 アウガルテン開窯説は 栄光のウィーン窯の
開窯年(1717年説も)であり それを拝借するのは 羊頭狗肉(看板は高級な羊肉を掲げ
売っているのは安物の犬肉) 挙句 贔屓の引き倒し 素晴らしいアウガルテンを 貶める
ものです。
当店は 日夜 洋食器の故事来歴を 文献をあさり 研鑽します。
文献には 記したお国 記した窯の 自己顕示欲から 我田引水 荒唐無稽 挙句は 正
反対のものまで乱暴に対立しております。当店は 一所懸命に 混乱を紐解いていきます。
洋食器愛好家に 正しく 美を 愛でてほしいからです。作る側の虚偽は 勿論 誇張も
いただけません。幸い 当店には 四半世紀にわたり 収集してきた 膨大な実物がござい
ます。岡本は 1年364日 この人達?に 語り掛け 問いかけ 来し方を 教わります。
実物は 恐いですよ,強いですよ。薄っぺらな 小手先の書の自信のなさは 直ぐに看破し
ます。当店の耐震ビルの 一階は店舗ですが ワンフロア100坪の2階から5階までには
当店の気に入ったものから 気には入らないが 永い伝統に生きてきたもの それには
それなりの支持があったのですから そこは謙虚に敬意を表して 収集して来た強い味方
さんらで溢れております。よく自分は美に造詣が深く 自分にかなわぬものは・・・・・という
人には与しません。えてして そういう人は まったく方向違いの批判をします。
当店は 己の眼力を養い 愛好家に 最高のものを選んでいただくのが 責務と考えており
ます。己の眼力に自信がなかったころは マイセンならマイセンに 一目置かれておるヨーロ
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伝統に頼れない新作でも 創窯者の目でもって その窯の伝統の正当性の判別が できる
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「マリア・テレジアと マリー・アントワネット」
「フランス・ブルボン王朝との第一次ヴェルサイユ条約」
「マリアテレジアは 女帝であったのか?」
「第2黄金期 マリアテレジアの息子ヨーゼフ二世皇帝」 加筆しました。
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マリアテレジアさんとしては 国を守ることも大切ですが 娘の幸せを願う相手として 太陽
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ことでしょう
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