マイセン 【ウォールプレート】 ホレおばさん '77 15%Off
マイセン 【ウォールプレート】 ホレおばさん '77 15%Off
祝子供の日 ( 本日~ 5/ 5) 1枚限り
通常10%Off 祝子供の日 ( 本日~ 5/ 5) 15%Off
【至公至平】 このうえなく公平である ホレおばさん
ホレおばさん グリム童話から
とある未亡人には2人の娘がおり、1人は醜く怠け者の実娘、もう1人は美しく働き者の継子だった。継母は美しい継子を快く思っていなかったため、常日頃から過酷な労働を科して虐待をしていた。 ある日、継子は糸巻きを井戸で洗っていたが、うっかり井戸の中に落としてしまう。糸巻きを落としたことを継母に告げると、「自分で取ってこい」と命令される。 継子は深い井戸から糸巻きを取る方法がわからず、思い余って井戸に身を投げ、そのまま気を失う。
ふと気がつくと、継子は美しい草原に立っていた。歩いていくうちに、焼き釜で焦げそうになっているパン、熟しきったりんごを救い、ホレおばさんの家へたどり着く。 ホレおばさんの家で奉公することになった継子は、羽布団をふるって寝床を直すなどの仕事をはじめる。 しばらくは幸せに奉公していたものの、家に帰りたくなった継子は、ホレおばさんに家が恋しくなったことを告げる。 するとそれを聞いたホレおばさんは継子が落とした糸巻きを返し、更に真面目に奉公した褒美として、継子の身体を黄金で包ませて家に帰す。
大金持ちになって帰ってきた継子に嫉妬した継母は、同じ幸せを実娘にも授けたいと考え、実娘もホレおばさんのところへ行かせることにする。 しかし、怠け者で心の曲がった娘は、パンもりんごも助けず、ホレおばさんの家へ一直線に行く。 さらにはホレおばさんの家でも怠けて寝床をきちんと直さなかったため、その罰として、死ぬまで取れないピッチ(コールタール)を全身にかけられて家に帰される。
この物語の出どころであるドイツ・ヘッセン地方では、雪が降ることを「ホレおばさんが寝床を直している」と言うが、これは、寝床を直すときに振るった布団から詰め物の羽が飛ぶ様子が雪に似ているためである。
ピカピカの 新品です。
絵の美しさは 他の追随を 許しません。
忌まわしいナチス台頭 1934年よりのロゴが
1972年から 現在のロゴに改新されました。
貴重な 印判手(版画染付)
もう10年以上前になりますか?
日本百貨店のマイセン展に いつも2~3枚のウォールプレートが出ていました。当店は
それらを参考に ドイツ各地の代理店より 未使用の新品を集めておりました。 当時はよく
売れましたが 日本代理店さんも 新品が無くなってから 展示販売をしなくなりました。
当店でも 新品が入手しずらくなり 今は 売れてしまえば おしまいです。当店にとって
マイセン代理店さんの過去の新品上代しか 参考はありません。
φ26cm
「欧州磁器戦争史 3人の天才ヨハン 1~5」 詳しくは コチラをクリック してください。
3人の天才ヨハン ベトガー ヘロルト ケンドラー
3人の偉業により マイセンは ヨーロッパ諸窯に そして世界に 多大の影響を 与えてきました。創窯300年のマイセンは 偉大なマンネリズムを標榜し 3人の残した業績を 踏襲し続けてきました。ブルーオニオンにいたっては 約3世紀に亘る 伝統に生きております。
伝統を受け継ぐ一方で 創作美術集団クンストラー・コレクティヴを 1960年に立ち上げました。新グロッサー・アウシュニット型に ハインツ・ヴェルナー絵付けによる「アラビアンナイト1001夜」や「ブルーオーキッド」【アフロディテ・ヴィーナス誕生】等の ヒット作が
ここから生まれました。
1975年には 更に若い世代によるクンストラー・コレクティヴが立ち上げられ ヴェレンシュピール型「波の戯れ」や「青い花」を 生み出しております。
時の流れは 変われども(バロック,ロココ,ネオクラシック,エンパイア,ビーダーマイヤー,アールヌーボー,アーツ&クラフツ,アールデコ) マイセンに対する 尊敬と その高い地位は 変わることが ありませんでした。
栄えあるマイセンに 3人のヨハンは 今もなお 生き続けているのです。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛した白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る 多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師ベドガーは わずか3~5年で 1710年
に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウスの 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ ベドガーの西洋的手法の 優越性は 個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
祝子供の日 ( 本日~ 5/ 5) 1枚限り
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【至公至平】 このうえなく公平である ホレおばさん
ホレおばさん グリム童話から
とある未亡人には2人の娘がおり、1人は醜く怠け者の実娘、もう1人は美しく働き者の継子だった。継母は美しい継子を快く思っていなかったため、常日頃から過酷な労働を科して虐待をしていた。 ある日、継子は糸巻きを井戸で洗っていたが、うっかり井戸の中に落としてしまう。糸巻きを落としたことを継母に告げると、「自分で取ってこい」と命令される。 継子は深い井戸から糸巻きを取る方法がわからず、思い余って井戸に身を投げ、そのまま気を失う。
ふと気がつくと、継子は美しい草原に立っていた。歩いていくうちに、焼き釜で焦げそうになっているパン、熟しきったりんごを救い、ホレおばさんの家へたどり着く。 ホレおばさんの家で奉公することになった継子は、羽布団をふるって寝床を直すなどの仕事をはじめる。 しばらくは幸せに奉公していたものの、家に帰りたくなった継子は、ホレおばさんに家が恋しくなったことを告げる。 するとそれを聞いたホレおばさんは継子が落とした糸巻きを返し、更に真面目に奉公した褒美として、継子の身体を黄金で包ませて家に帰す。
大金持ちになって帰ってきた継子に嫉妬した継母は、同じ幸せを実娘にも授けたいと考え、実娘もホレおばさんのところへ行かせることにする。 しかし、怠け者で心の曲がった娘は、パンもりんごも助けず、ホレおばさんの家へ一直線に行く。 さらにはホレおばさんの家でも怠けて寝床をきちんと直さなかったため、その罰として、死ぬまで取れないピッチ(コールタール)を全身にかけられて家に帰される。
この物語の出どころであるドイツ・ヘッセン地方では、雪が降ることを「ホレおばさんが寝床を直している」と言うが、これは、寝床を直すときに振るった布団から詰め物の羽が飛ぶ様子が雪に似ているためである。
ピカピカの 新品です。
絵の美しさは 他の追随を 許しません。
忌まわしいナチス台頭 1934年よりのロゴが
1972年から 現在のロゴに改新されました。
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もう10年以上前になりますか?
日本百貨店のマイセン展に いつも2~3枚のウォールプレートが出ていました。当店は
それらを参考に ドイツ各地の代理店より 未使用の新品を集めておりました。 当時はよく
売れましたが 日本代理店さんも 新品が無くなってから 展示販売をしなくなりました。
当店でも 新品が入手しずらくなり 今は 売れてしまえば おしまいです。当店にとって
マイセン代理店さんの過去の新品上代しか 参考はありません。
φ26cm
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3人の天才ヨハン ベトガー ヘロルト ケンドラー
3人の偉業により マイセンは ヨーロッパ諸窯に そして世界に 多大の影響を 与えてきました。創窯300年のマイセンは 偉大なマンネリズムを標榜し 3人の残した業績を 踏襲し続けてきました。ブルーオニオンにいたっては 約3世紀に亘る 伝統に生きております。
伝統を受け継ぐ一方で 創作美術集団クンストラー・コレクティヴを 1960年に立ち上げました。新グロッサー・アウシュニット型に ハインツ・ヴェルナー絵付けによる「アラビアンナイト1001夜」や「ブルーオーキッド」【アフロディテ・ヴィーナス誕生】等の ヒット作が
ここから生まれました。
1975年には 更に若い世代によるクンストラー・コレクティヴが立ち上げられ ヴェレンシュピール型「波の戯れ」や「青い花」を 生み出しております。
時の流れは 変われども(バロック,ロココ,ネオクラシック,エンパイア,ビーダーマイヤー,アールヌーボー,アーツ&クラフツ,アールデコ) マイセンに対する 尊敬と その高い地位は 変わることが ありませんでした。
栄えあるマイセンに 3人のヨハンは 今もなお 生き続けているのです。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛した白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る 多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師ベドガーは わずか3~5年で 1710年
に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウスの 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ ベドガーの西洋的手法の 優越性は 個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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