マイセン 【シャドウフラワー】 シュガーボンボン H14cm 54%Off
マイセン 【シャドウフラワー】 シュガーボンボン H14cm 54%Off
今だけセール (12/23~ 1/ 6) 一点限り
ヴェレンシュピール
ザビーネ・ワックス女史達が マイセン伝統の優雅さを 失う事無く
使っても楽しい「用の美」を求め 口縁に白い波を表現した 作品集です。
1960年に続き 1975年には 更に若い世代によるクンストラー・コレクティヴが
立ち上げられ ヴェレンシュピール型「波の戯れ」や「青い花」を 生み出しております。
やはり花はマイセン。学校を出て 親方(マイスター)に弟子入りした ペインターの卵達が
まず 最初に習うのがお花の絵です。一人前になっても 自然のお花を 工房に飾って写生に
精を出します。マイセンでは お花を描くのは 旨くて当たり前なのです。
このシリーズは 少し様式化された花絵です。
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マイセン 【 シャドウフラワー 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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ハインツ・ヴェルナー教授 風をテーマに6年間
ピカピカの 新品です。
絵の美しさは 他の追随を許しません。
1972年 この年から 現在のロゴになりました。
1970年までは 年号は マイセン社に記録されておるのみでしたが 1971年号から 訳が
ありまして 裏面にありますので やはり 飾り絵皿としても 楽しんでいただけます。
(2004年から日本版のみ 表に年号を 入れております。)
貴重な 印判手(版画染付)
もう10年以上前になりますか?
日本百貨店のマイセン展に いつも2~3枚のウォールプレートが出ていました。
当店は それらを参考に ドイツ各地の代理店より 未使用の新品を集めておりました。
当時はよく売れましたが 日本代理店さんも 新品が無くなってから 展示販売をしなく
なりました。当店でも 新品が入手しずらくなり 今は 売れてしまえば おしまいです。
当店にとって マイセン代理店さんの過去の新品上代しか 参考はありません。
φ26cm
「欧州磁器戦争史 錬金術師 1~5」 詳しくは コチラをクリック してください。
錬金術師-3
ベトガーが 人の出入りの多い 黄金の館から 廃墟に近い 山上のアルブレヒト城へ移された
のは ①大きな窯を設置出来る広い場所 ②研究に没頭せざるを得ない環境 ③研究が成就の
暁に 秘密を守る為 でした。ベトガーには 3人の監視と 5人の助手(中にウィーン窯の
前身に 秘法を伝えることになる 一番弟子シュテルツェルも)が つけられました。いかに
白い黄金と称えられていた 東洋の秘宝といえど 古代メソポタミアに 起源する科学の王道
賢者の石に比べれば 錬金術師ベトガーの誇りにかけて 陶工の真似は 潔き事ではありませ
んでした。しかし ベトガーは 処刑を免れる為の 時間稼ぎに 何らかの成果を あげざる
を得ませんでした。磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった
ベネツィアで 先ず試みられました。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられま
すが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に惑わされた彼らの せいぜい成功
らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セー
ヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。
他の物質から 黄金への変成を求めた 錬金術師ベトガーは 過去のガラスの研究においても
(ガラス製造技法大全)鉱物を 加熱することによる変成で 目的のものが得られる 経験を
しておりました。ベトガーは 科学系統的な実験により 真理にいたることを 重んじる正当
な研究者でしたから 連日 鉱物の加熱実験を 正当に繰り返しておりました。その過程にお
いて ベトガーは 中国の宜興窯に 勝るとも劣らぬガラス質の朱泥炻器を 副産物として得
ました。それは磁器 完成の前兆でもありました。1706年も終わろうとしておりました。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世
紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオ
リンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を
黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛し
た白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る
多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧
れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師ベドガーは わずか3~5年で 1710年
に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウスの 白磁研究の基礎に 助
けられたとはいえ ベドガーの西洋的手法の 優越性は 個人的資質の賞賛のみにとどまらず
明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 東洋は 西
洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
今だけセール (12/23~ 1/ 6) 一点限り
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ザビーネ・ワックス女史達が マイセン伝統の優雅さを 失う事無く
使っても楽しい「用の美」を求め 口縁に白い波を表現した 作品集です。
1960年に続き 1975年には 更に若い世代によるクンストラー・コレクティヴが
立ち上げられ ヴェレンシュピール型「波の戯れ」や「青い花」を 生み出しております。
やはり花はマイセン。学校を出て 親方(マイスター)に弟子入りした ペインターの卵達が
まず 最初に習うのがお花の絵です。一人前になっても 自然のお花を 工房に飾って写生に
精を出します。マイセンでは お花を描くのは 旨くて当たり前なのです。
このシリーズは 少し様式化された花絵です。
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ピカピカの 新品です。
絵の美しさは 他の追随を許しません。
1972年 この年から 現在のロゴになりました。
1970年までは 年号は マイセン社に記録されておるのみでしたが 1971年号から 訳が
ありまして 裏面にありますので やはり 飾り絵皿としても 楽しんでいただけます。
(2004年から日本版のみ 表に年号を 入れております。)
貴重な 印判手(版画染付)
もう10年以上前になりますか?
日本百貨店のマイセン展に いつも2~3枚のウォールプレートが出ていました。
当店は それらを参考に ドイツ各地の代理店より 未使用の新品を集めておりました。
当時はよく売れましたが 日本代理店さんも 新品が無くなってから 展示販売をしなく
なりました。当店でも 新品が入手しずらくなり 今は 売れてしまえば おしまいです。
当店にとって マイセン代理店さんの過去の新品上代しか 参考はありません。
φ26cm
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ベトガーが 人の出入りの多い 黄金の館から 廃墟に近い 山上のアルブレヒト城へ移された
のは ①大きな窯を設置出来る広い場所 ②研究に没頭せざるを得ない環境 ③研究が成就の
暁に 秘密を守る為 でした。ベトガーには 3人の監視と 5人の助手(中にウィーン窯の
前身に 秘法を伝えることになる 一番弟子シュテルツェルも)が つけられました。いかに
白い黄金と称えられていた 東洋の秘宝といえど 古代メソポタミアに 起源する科学の王道
賢者の石に比べれば 錬金術師ベトガーの誇りにかけて 陶工の真似は 潔き事ではありませ
んでした。しかし ベトガーは 処刑を免れる為の 時間稼ぎに 何らかの成果を あげざる
を得ませんでした。磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった
ベネツィアで 先ず試みられました。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられま
すが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に惑わされた彼らの せいぜい成功
らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セー
ヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。
他の物質から 黄金への変成を求めた 錬金術師ベトガーは 過去のガラスの研究においても
(ガラス製造技法大全)鉱物を 加熱することによる変成で 目的のものが得られる 経験を
しておりました。ベトガーは 科学系統的な実験により 真理にいたることを 重んじる正当
な研究者でしたから 連日 鉱物の加熱実験を 正当に繰り返しておりました。その過程にお
いて ベトガーは 中国の宜興窯に 勝るとも劣らぬガラス質の朱泥炻器を 副産物として得
ました。それは磁器 完成の前兆でもありました。1706年も終わろうとしておりました。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。古磁器を経て 紀元6世
紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオ
リンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。日本を
黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナと 賞賛し
た白磁です。やがて14世紀には 染付の完成を見ます。東洋では 1000年の長きに亘る
多くの職人の勘と 経験を積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧
れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師ベドガーは わずか3~5年で 1710年
に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウスの 白磁研究の基礎に 助
けられたとはいえ ベドガーの西洋的手法の 優越性は 個人的資質の賞賛のみにとどまらず
明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 東洋は 西
洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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