ミントン 【ハドンホールブルー英国製】 シュガーボンボン 15%Off
ミントン 【ハドンホールブルー英国製】 シュガーボンボン 15%Off
祝新入学・社フェア (本日~ 4/10) 2壺限定
通常10%Off 祝新入学・社フェア (本日~ 4/10) 15%Off
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。
主だったお店を調べましたが どうやら 英国製 新品在庫は お熟成アインにしかないようです。
それではお熟成アインには何故あるのでしょう ? 制作がインドネシア工場に移った20年前の平成9年 ドルトン・ミントン・アルバート日本代理店さんは 英国製があれば インドネシア製が売れなくなるので 英国製の在庫をアインに売り切りたいと申し入れがありました。ハドンホールブルーの27cmプレートFlr は 300枚あり 総10000点の総てを引き受けました。悪貨は良貨を駆逐する。安売りのインドネシア製より 高くて美しい英国製は こだわりのある方にのみ受け入れられました。元来 売るのが下手なお熟成アインは 投げ売りをしてミントンのブランドの価値を貶めないと評価をされ 安さで売れるインドネシア製を横目にいつか日の目を見ると信じて 宣伝広告も無く ポイントをつけたりして射幸心をあおることなく ひたすらお熟成 お値打ちが評価されるのを待ちました。お陰で 今では如何ほど積んでもこの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !
ネット上で ブランド洋食器のプライス・ランキングが発表されておりますが 商品名による比較であって 一味も二味も違う お熟成アインのお品を 商品名だけで比較されるのは ナンセンスです。お熟成アインは表示しておりますように 同じ商品名でも 作られた時代により 本国製と東南アジア製があり 見た目の違いだけでなく 代理店上代まで違っており 商品名だけの比較は 意味を成しません。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
1953年 エリザベス2世戴冠式
エリザベス2世(1926年- )は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を含む、16か国の主権国家(イギリス連邦王国)の君主であり、王室属領と海外領土の元首である。また、イングランド国教会の首長。イギリスの君主としてはウィンザー朝の第4代女王でもある。実名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー。2007年12月20日、高祖母たるヴィクトリア女王を抜いて英国史上最高齢の君主になった。2015年1月23日にはサウジアラビア国王のアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズが90歳で死去したことにより、88歳で存命する在位中の君主の中で世界最高齢になった。2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、同じくヴィクトリア女王を抜いて英国史上最長在位の君主となった。さらに、2016年10月13日にはラーマ9世(タイ王国)の死去により、存命の君主では世界第1位の長期在位君主となった。
エリザベス2世下の1948年 ハドンホールは生まれました。
甘ーいシュガーボィンボィン
ハドンホール城(カントリーハウス)
タペストリー
壁画
完全英国製 MADE IN ENGLAND ロゴ
原作者 ジョン・ワズワースの サイン
インドネシア製とは違います。純正品
世界広しと言えどアインにあるのみ
お熟成洋食器店の ハドンホールは 今は無き 在りし日の 英国ミントン社工場製
やはりハンドトランスファーは 鮮明で 美麗です。
安物安いのは 当たり前
良いもの 安いのが アインさん
創立1793年以来 特許をもっていたアシッドゴールドをはじめ ライズドゴールドなど ギルディング技術を駆使して 大陸の王立窯に 引けをとらない 世界の王侯貴族をうならす 貴族趣味の 芸術品を ものにしてきたのが トーマス・ミントンによる ミントン窯である。ミントンは 大陸の王立窯 特にフランスのセーヴルから 工芸家を招聘して 腕に磨きをかけておりました。工場内では 英語に引けを取らないぐらいフランス語が飛び交っておりました。1871年 ルイ・ソロンを招聘して 美しいパテ・シュール・パテ技法を マイセンに先駆けて 自家薬籠中のものにして 更に 世界の王侯貴族をうならす 貴族趣味の芸術品をものにして 「パテ・シュール・パテのミントン」の名声は セーヴルを 出し抜くほどでした。
マイセン・翠の月(パテ・シュール・パテ)931689 G・アーノルド作 磁板画95168 30%Off のお求めはコチラ
拡大写真
マイセン・翠の月931689 パテ・シュール・パテ G・アーノルド作 金箔額装磁板画 当店所蔵
余談ですが パテ・シュール・パテ技法をセーブル時代のルイ・ソロンの創作と思っておられる方がプロ?でも殆どなので その間違いを手短に説明します。殆どの業者さんが 仏ブルボン王朝の放蕩王ルイ15世が 寵姫ポンパドール夫人の美の追求に湯水のごとく大枚をつぎ込み 美の権化と詠われたセーヴルの名声にあやかり あたかもセーヴル在籍のルイ・ソロンがパテ・シュール・パテ技法を創作したかに箔付けをして高価を詠います。実際は セーブル窯パテ・シュール・パテ妖精図蓋付飾壺をご覧になればお判りのように 元祖 中国泥彩画と余り変わりません。マイセン・翠の月 パテ・シュール・パテをご覧になればお判りのように 発展開花は20世紀になってからですが もうこの域になると 本家中国泥彩画をはるかに凌駕しております。セーヴルに追い抜かれた恐怖からとはいえ マイセンのハインツェ博士でも セーヴルを過大視されたほどですから 商売人にあっては 名窯セーヴルのルイ・ソロンを引き合いに 誇大宣伝したいのでしょう。山高きが故に 貴からず。セーヴルが ルイソロンが故に 高貴なのではありません。多くの先史時代や産業革命前の時代の文化で、スリップウェアが作製されている。最古のものは紀元前5000年の古代中国や古代中東で作られた。その後、アフリカの多くの地域、南北アメリカ大陸の先住民の間や、初期の朝鮮半島、ミケーネ文明、古代ギリシアの陶芸、イスラームの陶芸、ヨーロッパなどで建築の壁の装飾に使われたズグラッフィート, 等々 施釉の有無はあれど 皆 パテ・シュール・パテと原理は同じです。
イギリス 施釉スリップウェア鳥文鉢 1769
最近ある同業者から「泥漿で絵を描き釉薬をかけた絵付けがルイソロンの発明ですよ」と言われましたが 間違っています。
未だに多くのパテシュールパテ ソロン党の方に 蒙昧な信仰から目を覚ましてもらいたい。
17~18世紀のイギリスでの重厚な陶器スリップウェアの釉薬と組み合わた 戯画風トフト皿があります。泥漿と釉薬の組み合わせはイギリス スリップウェア鳥文鉢 1769年をご覧になればお判りの様に 1860年代のマリク・ルイ・ソロンの発明でも何でもありません。ただ彼の名誉のために言いますが 道半ばとはいえ 芸術への進歩 それが素晴らしいのです。
ルイ・ソロンの功績は本家英国陶器のスリップウェアをさておいて 新手法でもあるかの如く磁器世界ミントンにパテ・シュール・パテを持ち込みました。ご存知のようにミントンで花開き素晴らしい芸術への昇華を遂げるのです。その先鞭をつけた功績です。
ちなみに英国スリップウェアは 日本でも大いに賞賛されています。バーナード・リーチや富本憲吉は1913年に東京の丸善で購入したチャールズ・ロマックスの『古風な英国陶器』という本の中で、初めてスリップウェアの存在を知った。リーチと濱田庄司は1920年にイギリスに渡り、セント・アイブスの彼らの窯の近くでスリップウェアの破片を見つけるとともに現存するスリップウェアを収集し、1924年に濱田が日本に持ち帰った。柳宗悦や河井寛次郎もこれを目にし、彼らの作陶や民芸運動に強い影響を与えた。
(スリップと呼ばれる泥漿でもって筆で描いたり、スポイトから垂らす手法は日本の作陶における「筒描き」「いっちん盛り」と同じ手法であり、古くから日本の染色でも行われていた。)
ヘレンドでも 1860~1870年ごろには スリップ状磁土を盛り上げ鱗文(トゥッピーニーの角笛)を加飾しております。
19世紀末 KPMのテオドールヘルマンは ズグラッフィート(パテシュールパテ)を独自に応用開発しておりました。20世紀のリチャードジノリでも パールブルーにある 私命名の粉彩リングは 中国の泥彩由来のパテシュールパテの転写版です。粉彩は主に水泥(スリップ状磁土)を地に施したものです。陶器などでは普通に行われていた自然釉期待の素焼をヒントにしたのか マイセンが 18世紀の中世を席捲したウェッジウッドのジャスバーに対抗して焼き締め陶器(ハードストーンウェア)に先祖返りしたのがビスク焼と呼んでいるものです。
マイセン ウェッジウッドのネオクラシックの華 ジャスパー・エトラスカンダンサーをビスク焼で模倣。1817~24。
(これこそ 凹凸の浅さからみて ルイ・ソロンと同じ 泥彩の手描きと考えられます。もしそうならルイ・ソロンよりかなり絵画的です。.)
ただ ソロンの創作ではないが より絵画的表現への進歩 ハインツェ博士から L・シユトルムに至り ついにはG・アーノルドに至る芸術への昇華 これがすばらしいのです。洋食器愛好家には 高価を詠う宣伝にまやかされず 美術品を正しく理解・鑑賞してもらうために 中傷誹謗の恐れを 敢えて言わせてもらいます。
豆彩 闘彩 五彩 青花染付 粉彩 雑彩 剔花 泥彩画etc.まだまだ 中国は実に懐深い。
1773年頃の エトラスカン・ダンサーズ・プラクウ ウェッジウッド美術館蔵
本日 私は大変なことに気が付きました。ヨーロッパ中を席捲したこのジャスバーウェアーこそ 紛れもなく パテシュールパテ そのものです。筆描きアンダーグレースと型押し無施釉の違いはありますが 100年も前にジョサイアは ルイ・ソロンをはるかに絵画的表現において凌駕しております。近代になってミントンの進化したパテシュールパテにも遜色はありません。ただ残念なのは 今のジャスパーはルイ・ソロン並みに退化しております。それにしてもジャスパーに痛めつけられて模倣までした(1817~24)マイセンに所属したハインツェ博士は ルイ・ソロンのパテシュールパテを見たとき(1873)に 何故気が付かなかったのでしょうか ? まさか釉薬に惑わされたというのでしょうか ? ルイ・ソロンが猛威を振るったジャスパーを知らなかったのは確かと思われますのは 知っていれば 恥ずかしくて創作などとは言えなかったでしょう。かくいう岡本もパテシュールパテの研究を始めて1年半 折に付け ジャスパーを俎上に載せながら パテシュールパテのすべてが見えていなかったようです。
セーヴル在籍のルイ・ソロンがパテ・シュール・パテ技法を創作説が巷に蔓延しております。赤信号みんなで渡れば怖く無い てんで 子引き孫引き 流布しております。「一犬 虚に吠ゆれば 万犬 実を伝う(一人がいいかげんなことを言うと、世間の多くの人はそれを真実のこととして広めてしまう)」如く 間違いが蔓延しております。もし異論 反論有ればどうぞ申し出てください。
(ルイ・ソロン教の方々が陥っておられる頑迷を晴らすために ルイソロンの泥彩画のアンダーグレースをもって発明とされる方々には 既に17~18世紀のイギリスでの重厚な陶器スリップウェアはアンダーグレースですから発明とは言えない事を明記します。又 スリップウェアの最古のものは紀元前5000年以来の歴史を持ち 到底ルイ・ソロンの発明とは言えません。美術的にも勿論言えません。ルイソロンは発明だと言わず 祭り上げられたルイソロンにはいい迷惑で その彼の名誉のためにも敢えて申します。)
セーブルがパテ・シュール・パテ技法を創作といったかどうかは知りませんが マイセンのハインツェ博士も セーブルの創作と思って 後塵を拝している決定的一大事件と思い 約10年間の研究の末 パテ・シュール・パテ技法を習得し セーヴルに追いついたとマイセンあげて喜びました。
中国泥彩象嵌鶴文水指 高さ18、8cm 白泥鉄絵緑彩松樹鶴文(遠景の山々は白泥)
豆彩 闘彩 五彩 青花染付 粉彩 雑彩 剔花 泥彩画etc.まだまだ 中国は実に懐深い。
セーブル窯パテ・シュール・パテ妖精図蓋付飾壺 1880年 ジュール・アンドレア作
初期のセーブル窯パテ・シュール・パテは 中国泥彩とあまり大差はありません。
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イギリス 施釉スリップウェア鳥文鉢 1769
最近ある同業者から「泥漿で絵を描き釉薬をかけた絵付けがルイソロンの発明ですよ」と言われましたが 間違っています。
未だに多くのパテシュールパテ ソロン党の方に 蒙昧な信仰から目を覚ましてもらいたい。
17~18世紀のイギリスでの重厚な陶器スリップウェアの釉薬と組み合わた 戯画風トフト皿があります。泥漿と釉薬の組み合わせはイギリス スリップウェア鳥文鉢 1769年をご覧になればお判りの様に 1860年代のマリク・ルイ・ソロンの発明でも何でもありません。ただ彼の名誉のために言いますが 道半ばとはいえ 芸術への進歩 それが素晴らしいのです。
ルイ・ソロンの功績は本家英国陶器のスリップウェアをさておいて 新手法でもあるかの如く磁器世界ミントンにパテ・シュール・パテを持ち込みました。ご存知のようにミントンで花開き素晴らしい芸術への昇華を遂げるのです。その先鞭をつけた功績です。
ちなみに英国スリップウェアは 日本でも大いに賞賛されています。バーナード・リーチや富本憲吉は1913年に東京の丸善で購入したチャールズ・ロマックスの『古風な英国陶器』という本の中で、初めてスリップウェアの存在を知った。リーチと濱田庄司は1920年にイギリスに渡り、セント・アイブスの彼らの窯の近くでスリップウェアの破片を見つけるとともに現存するスリップウェアを収集し、1924年に濱田が日本に持ち帰った。柳宗悦や河井寛次郎もこれを目にし、彼らの作陶や民芸運動に強い影響を与えた。
(スリップと呼ばれる泥漿でもって筆で描いたり、スポイトから垂らす手法は日本の作陶における「筒描き」「いっちん盛り」と同じ手法であり、古くから日本の染色でも行われていた。)
ヘレンドでも 1860~1870年ごろには スリップ状磁土を盛り上げ鱗文(トゥッピーニーの角笛)を加飾しております。
19世紀末 KPMのテオドールヘルマンは ズグラッフィート(パテシュールパテ)を独自に応用開発しておりました。20世紀のリチャードジノリでも パールブルーにある 私命名の粉彩リングは 中国の泥彩由来のパテシュールパテの転写版です。粉彩は主に水泥(スリップ状磁土)を地に施したものです。陶器などでは普通に行われていた自然釉期待の素焼をヒントにしたのか マイセンが 18世紀の中世を席捲したウェッジウッドのジャスバーに対抗して焼き締め陶器(ハードストーンウェア)に先祖返りしたのがビスク焼と呼んでいるものです。
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セーブルがパテ・シュール・パテ技法を創作といったかどうかは知りませんが マイセンのハインツェ博士も セーブルの創作と思って 後塵を拝している決定的一大事件と思い 約10年間の研究の末 パテ・シュール・パテ技法を習得し セーヴルに追いついたとマイセンあげて喜びました。
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