リチャードジノリ 【インペロロッソ】 ポンペイトロフィー(ベース) H21cm 40%Off
リチャードジノリ 【インペロロッソ】 ポンペイトロフィー(ベース) H21cm 40%Off
新春初売りフェア (本日~ 1/15) 2脚限定。
通常30%オフ 新春初売りフェア (本日~ 1/15) 40%Off
お熟成価格は 安くて美味しい。お熟成ワインは ボージョレヌーボーより美味しいですが プレミアムが付いた分 高くなる。何故 お熟成アインは 安くなるんですか ? お熟成のプレミアムも お客様に差し上げているからです。
18年前 ヨーロッパ最大のドイツの リチャードジノリ代理店が代理店契約終了に当たり 在庫の処理を巡り リチャードジノリ社とトラブっておりましたので アインが 40フィートコンテナ2本分の在庫を引き受けました。超一流店として アインに足らざるブランド洋食器300年の歴史と伝統を買いました。
以来 グッチジノリになるまで フィレンツェの本店から直接仕入れていました。中間業者のマージンのいらないのもお安く売れる秘密の一つでした。
インペロロッソの新品は お熟成アインにしかありません。
クッチシノリ社は 安売りをして倒産するのは嫌だと公言して プライスを大幅に上げております。それではお熟成アインは何故 重厚な旧作廃盤品をお安すくできるのでしょう ? それは売るのが下手だからです。(と言っても在庫は薄くなってますのでそろそろ割引率は減らそうかな ? )大概のお店は 色々な宣伝広告に金をかけたり ポイントで釣ったりして上手にお高くさばいていかれます。売り下手のアインは ひたすらお熟成 お値打ちのつくのを待ちます。お陰で 今では これだけの美品は手に入りません。お熟成アインの真骨頂 ! !
旧・ジノリで 廃盤に
優勝記念に
トロフィー(英: Trophy)は、主にスポーツの試合や競技会において優勝者に授与される優勝カップ・優勝楯・像などの総称である。元々は戦利品を意味し、勝利の女神(ニーケー ギリシア神話に登場する勝利の女神。ローマ神話ではヴィクトーリア (Victōria) と呼ばれる。一般には有翼の女性の姿で表される。アテーナーの随神だが、アテーナーの化身とする場合もある。サモトラケ島で発掘された彫像 ルーヴル美術館所蔵「サモトラケのニケ」が有名。英語ではナイキ)に祝福された勝者を称える儀式的な意味合いがある。狩猟で仕留めた鹿などの首から上の部分を剥製にするなどして、壁に飾ったりするものをハンティング・トロフィーという。狩猟戦利戦争で敵から奪い取った鎧・兜・盾などを戦利品として飾る慣習からといわれる。紀元前の硬貨・テトラドラクマ銀貨の裏面には、柱に飾られた戦利品の甲冑に勝利の女神・ニケが銘文を刻もうとしている様子が描かれており 古くからの慣習であったと言える。
ステュクス河(Stuvx)
「ぞっとするもの、タブーであるもの」の意。ギリシア神話において冥界を流れる主要な河。ステュクス河はタブーであったが、それはこの河が、クリトールの町の近くの山中にある、大地母神を祀った、女陰をかたどった秘密の神殿から流れ出てくる、母神の経血になぞらえられていたからである。古代世界のたいていの河と同じく、ステュクス河も女神に擬せられ、「大洋の娘」と呼ばれた。彼女はパッラス(「リンガ」)と結婚し、「力」、「強さ」、「支配」(ニーケー)を生んだ。これは、精液と経血を混合すると生じると、一般に信じられていた魔力の神話的表現である。
Nike(ニーケー)
「支配」または「勝利」を意味し、生誕の川の擬人化であるステュクス河から生まれた古代ギリシア以前の時代の女神。ニーケーの生んだ子がパッラス〔男根の意〕であった。《勝利》の意で、その擬人化された女神。ローマのウィクトーリア。
ヘーシオドスは彼女をティーターン神族のパラースとステュクスとの娘で、ゼーロース《競争心》、クラトス《支配》、ビアー《暴力》の姉妹としている。オリュムポスの神々をたすけてティーターン親族と闘ったので、ゼウスに賞せられた。
彼女はまた競技の勝利の女神であり、ペルシア戦争の勝利は彼女の人気を急激に増大させた。
彼女はよく軍の女神としてアテーナーに従って表されている。普通有翼の若い女神として造形美術で表現され、オリュムポス出土のパイオーニオス作
ニーケー オリュムポス出土のパイオーニオス作
およびサモトラーケー出土の有名な像が残っている。彼女はギリシア各地に神殿を持っていた
ステュクス河は冥界を7巡りしていたが、これは、妊娠状態は7太陰月の間続くから、再生も月の満ち欠けの周期を7回経たのちに達成されるであろうという信仰の名残であった。ひとはステュクス河を「渡って」死-再生の国に到着すると言われた。同じくトマス・ライマーが血の川を渡って妖精に国に達したし、ユダヤ教の聖人たちはヨルダン河を渡ると言われた。ステュクス河とヨルダン河は「死の河」であるとともに「生誕の河」でもあった。ステュクス河の別名はアルファ(「生誕」)であった。同様に、ある男が7度ヨルダン河に身を浸すと、「その肉がもとにかえって幼子の肉のようになった」(『列王紀下』第5章 14節)。
ステュクス河
ステュクス河
死者は、ステュクス河の渡し守(霊魂導師)カローンの操る渡し船に乗ってステュクス河を渡らねばならないという古代の考えは、17、8世紀にいたるまでギリシア、アイルランドや他の国でも文字通りに信じられていた。農民は名目上はキリスト教徒であったが、たいてい死者を埋葬する前に、「渡し賃が払えるように」、死者の口に貨幣をくわえさせた。〔古代ギリシアでは、その額は1オボロスであった〕。
79年のヴェスヴィオ火山噴火
79年8月24日の午後1時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。翌25日の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。降下火山灰はその後も続いた。海の水がみるみる引いていった後に「津波」がおきた。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。
ポンペイの遺跡とヴェスヴィオ火山
伊名 コンテッサロッサ(赤)
日本俗名 インペロタン(舌の色)
ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品
手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。
本金は 古色が付いています。
風格ある古色は捨てがたいのですが 軽く磨くとすぐ元の金ピカになります。
インペロシェープ
ジノリを 代表する アンピール様式の花
(ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)
この重厚感あふれ ジノリを代表するシリーズは 18年前 当時ヨーロッパ最大の ジノリ
代理店の 依頼を受けて マルクで仕込みました。欧州一番店に比べ アインに足らざる
歴史と伝統を買いました。現在では コスト面から 制作困難な手工芸品を 創業26周年
謝恩特価でご提供
リチャードジノリ 【インペロロッソ】 ポンペイトロフィー(ベース) H21cm 40%Off のお求めはコチラ
どの写真もクリックで拡大
把手面 ドッチア窯金ロゴ
リチャードジノリ 【 インペロロッソ 】 新春初売りフェア お宝倉庫に 買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
雄雄しく 歴史に名を連ねた 覇者達 彼らが 歴史の頂点を 極めた時 王者に相応しい 王者の尊厳に そむかぬものを求めて 白い黄金にたどり着く。
「悠久の歴史の中に埋もれし 英雄・姫妃との出会い」 コチラをクリック してください。
イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまとせしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのですが カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込みをかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロシア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでもカオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオリンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。
ハプスブルク王家や ナポレオン治世下を経た 両シチリア王国フェルディナンド1世治世下のナポリ窯 (カポデモンテ)を 1834年ジノリが買収。モールドを継承した正式な継承ですから 復刻にナポリ王冠窯印 Ginori を施したものは 正当です。ただここからが問題ですが ジノリは ナポリを訪れる観光客への 街道沿いのお土産屋からの注文依頼で モニュメント的なオブジェ,ベースや キャンドルスタンド等のモールドを作り ナポリ王冠窯印Ginoriを 施した贋作を作ります。お土産業者は 仕入れ価格の6倍でも売れるのに味を占め よりアンティックに見せる為 Ginori の施印まで外させたほどです。只ジノリも面白くないのか ナポリ王冠等とても雑で 一目でお土産品ですよと判ります。日本の清水で売られる中国製の清水焼?に 「清水」としか書かれてない手合と同じです。「ジノリ社は (マリア・アマリア)カポデモンテ窯の継承を言いますが 正式にはナポリ窯(マリア・カロリーナ)のカポデモンテを継承したのです。直 この不名誉なカポデモンテ贋作製造について ジノリ社史は あえて触れておりません。」
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年頃からリモージュのカオリンを 用いる事で完璧な白磁を完成させております。
1869年には リチャード社を合併して 今のリチャードジノリ社になりました。(とジノリ社史はいいますが 真相は ジノリ家内の領地争いの中、ミラノの陶芸家、アウグスト・リチャードに 身売りしたのが 社名の頭から判ります。)
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して新しい芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
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ステュクス河(Stuvx)
「ぞっとするもの、タブーであるもの」の意。ギリシア神話において冥界を流れる主要な河。ステュクス河はタブーであったが、それはこの河が、クリトールの町の近くの山中にある、大地母神を祀った、女陰をかたどった秘密の神殿から流れ出てくる、母神の経血になぞらえられていたからである。古代世界のたいていの河と同じく、ステュクス河も女神に擬せられ、「大洋の娘」と呼ばれた。彼女はパッラス(「リンガ」)と結婚し、「力」、「強さ」、「支配」(ニーケー)を生んだ。これは、精液と経血を混合すると生じると、一般に信じられていた魔力の神話的表現である。
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ステュクス河
ステュクス河
死者は、ステュクス河の渡し守(霊魂導師)カローンの操る渡し船に乗ってステュクス河を渡らねばならないという古代の考えは、17、8世紀にいたるまでギリシア、アイルランドや他の国でも文字通りに信じられていた。農民は名目上はキリスト教徒であったが、たいてい死者を埋葬する前に、「渡し賃が払えるように」、死者の口に貨幣をくわえさせた。〔古代ギリシアでは、その額は1オボロスであった〕。
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