ウェッジウッド 【プシュケ】 ティー(ピォニー)C/S 20%Off
ウェッジウッド 【プシュケ】 ティー(ピォニー)C/S 20%Off
売切れ品 再入荷 お披露目価格 20%Off
プシューケーとは、ギリシア神話に登場する人間の娘の名で、この言葉は古代ギリシア語で心・魂・蝶を意味する。 日本語では、長母音を省略してプシュケと言う。 アプレイウスのラテン小説「黄金のろば」の中の挿話として登場する。ラテン文学であるため、ウェヌス、クピードーといったローマ神話の神名が用いられているが、ギリシア神話の一編として紹介しますので、アプロディーテー、エロース(キューピッド)など 総て ギリシア神話の神名に直しております。
ギリシャ神話「キューピッドとプシュケの結婚」
ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシューケの美しさは美の女神、アプロディーテへ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどであった。人間の女に負けることなど思いもよらなかったアプロディーテは、息子キューピッドにその愛の弓矢を使ってプシューケに卑しい男と恋をさせるよう命じる。悪戯好きのこの愛の神は喜んで母の命令に従うが、誤って自分をも傷つけプシューケへの愛の虜となってしまう。 プシューケーに求婚者が現れないことを憂いた父母はアポロの神託を受けるが、その神託とは、「山の頂上に娘を置き、『全世界を飛び回り神々や冥府でさえも恐れる蝮のような悪人』(恋の寓喩)と結婚させよ」という恐ろしいものであった。悲しむ人々の中プシューケは一人神託に従うことを決意し、山に運ばれる。
ゼピュロスがこの世のものとは思えない素晴らしい宮殿にプシューケを運び、宮殿の中では見えない声が、この中のものはすべてプシューケのものだといい、食事も音楽も何もかもが心地よく用意されていた。夫は夜になると寝所に現れるのみで姿を見ることはできなかった。
ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ作「アモールとプシュケ」
宮殿での生活を楽しんでいたプシューケだが、やがて家族が恋しくなり、渋る夫を泣き落として二人の姉を宮殿に招く。プシューケの豪華な暮らしに嫉妬した姉達は、姿を見せない夫は実は大蛇でありプシューケを太らせてから食うつもりであると説き、夫が寝ている隙に剃刀で殺すべきであるとけしかけた。この言葉を信じたプシューケが、寝ている夫を殺すべく蝋燭を持って近づくと、そこには凛々しい神の姿が照らし出された。驚いたプシューケは蝋燭の蝋を落としてキューピッドに火傷を負わせてしまう。妻の背信に怒ったキューピッドはその場を飛び去る。
ジュゼッペ・マリア・クレスピ作 キューピッドとプシュケ 1707~09 ウフィッツィ美術館
姉達の姦計にようやく気づいたプシューケは姉達の元へ行くと、今度はキューピッドは姉達と結婚するつもりだと嘘を教えた。喜んだ姉達はゼピュロスが宮殿へ運んでくれると思い、断崖から身を躍らせたが、風は運ばず、姉達は墜落してばらばらに砕けた。
アプロディーテの試練
一方アプロディーテは息子の醜聞に激怒し、アプロディーテ自らの接吻を与えるという懸賞までかけてプシューケを捕らえようとした。恐れたプシューケはデーメーテールに庇護を求めるが、デーメーテールは「アプロディーテとのつきあいがある」との理由で拒否した。そこで今度はヘーラーに庇護を求めるが、ヘーラーは「逃亡した奴婢をかくまってはならないことになっている」と法律を理由に拒否した。
かくて、愛を追いながらも世間のしがらみに行き場所をなくした魂は、観念してアプロディーテのもとに出頭した。アプロディーテはプシューケを捕らえて折檻し、次々と無理難題を押し付けた。しかし、大量の穀物の選別を命じられた際はどこからともなく蟻がやってきて手助けしてくれたり、凶暴な金の羊の毛を取ってくるよう命じられた際には河辺の葦が羊毛の取り方を助言してくれて、竜の棲む泉から水を汲むよう命じられた際はキューピッドに可愛がられていたゼウスの大鷲が水を汲んで来てくれるなど、不思議な助けを受けてアプロディーテの難題を乗り越える。
業を煮やしたアプロディーテは息子キューピッドの火傷の介抱で衰えた美貌を補うために冥府の女王ペルセポネーに美をわけてもらってくるよう命ずる。首尾よく美をわけてもらったプシューケだが、自分の容色も衰えキューピッドの愛も失うのではと不安になり、箱を開けないよう警告されていたにもかかわらず開けてしまう。しかし、中には冥府の眠りが入っていた。
傷の癒えたキューピッドは昏睡している妻から冥府の眠りを取り去って箱に集め、ゼウスにとりなしを頼む。ゼウスはキューピッドが良い女を見つけたら紹介することを条件にとりなしを了承する。ゼウスはプシューケに神の酒ネクタールを飲ませ神々の仲間入りをさせた。プシューケはもう人間でないのだから身分違いの結婚ではないと説明され、アプロディーテもやっと納得した。かくて魂は愛を手に入れ、二人の間にはウォルプタース(「喜び」、「悦楽」の意)という名の子が生まれた。女神となったプシューケが絵画に描かれるときには、蝶の翅を背中に生やした姿をとる例が多々見られる。
英国製 ENGLAND 1759 ロゴ
愛の神 キューピッドの妻になった 美しい人間の娘 プシュケ
ギリシャ神話「キューピッドとプシュケの結婚」から
描かれた愛の絆 ラブノット(解けない永遠の 結び切り リボン)
原点 回帰作
自信作のヒットを 狙って 上代は 低く抑えられており お買い得な シリーズです。
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シェープ ソーサー絵 ・見込絵 英国製ロゴ
ウェッジウッド 【 プシュケ 】 売切れ品 再入荷 お披露目価格 お宝倉庫 に買い物籠 有ります
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1769年 古典芸術に造詣の深い パートナー・ベントリーと スタッフォードの地に エトルリア(古代美術の栄えた イタリアの都市名)工場開設。ジョサイアの 古典芸術に対する憧憬と その復刻に燃える情熱から 命名された。
ネオクラシックを代表するジャスパー
当時 ギリシヤ,ローマ遺跡の発掘とあいまって 典雅なロココから 端正なネオクラシックが 勃興の中 ジョサイアの 古代文明への博学と憧憬が 生み出した ジャスパーウェア(古代ローマの カメオガラスを模して 4年の歳月 1万回にも及ぶ 焼成実験の結果 セッ器藍地に 白いレリーフを貼付する ジャスパーウェアを 1774年に発明)は 時流に乗って ヨーロッパ中を 席捲しました。磁器に先駆けたマイセンや セーブルを襲った この猛威を前に マイセンらは なす術も無く かえって ビスク焼きで後追いするほどでした。
ポートランドの壷
古代ローマ(紀元前27年~紀元14年頃)作のカメオガラス。1582年 古代ローマ皇帝の墓所で 発掘。めぐりめぐって英国国宝となった この壷を 5年の歳月をかけて 1790年 ジャスパーウェアで ジョサイアが 完全復刻に成功。彼の名声は 弥が上にもまし 彼の誇りの象徴となつた ポートランドの壷が 末永く ブランドロゴに採用されております。
英国ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の末 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに 1819年 現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立
クィーンズウェアに続く このジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることに なりました。しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には
取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターンブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。現在のパターンは 1965年発売)を 始 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを 完成させました。余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が チャールズ・ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。
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プシューケーとは、ギリシア神話に登場する人間の娘の名で、この言葉は古代ギリシア語で心・魂・蝶を意味する。 日本語では、長母音を省略してプシュケと言う。 アプレイウスのラテン小説「黄金のろば」の中の挿話として登場する。ラテン文学であるため、ウェヌス、クピードーといったローマ神話の神名が用いられているが、ギリシア神話の一編として紹介しますので、アプロディーテー、エロース(キューピッド)など 総て ギリシア神話の神名に直しております。
ギリシャ神話「キューピッドとプシュケの結婚」
ある国の3人の王女はいずれも美しく、中でも末のプシューケの美しさは美の女神、アプロディーテへ捧げられるべき人々の敬意をも集めてしまうほどであった。人間の女に負けることなど思いもよらなかったアプロディーテは、息子キューピッドにその愛の弓矢を使ってプシューケに卑しい男と恋をさせるよう命じる。悪戯好きのこの愛の神は喜んで母の命令に従うが、誤って自分をも傷つけプシューケへの愛の虜となってしまう。 プシューケーに求婚者が現れないことを憂いた父母はアポロの神託を受けるが、その神託とは、「山の頂上に娘を置き、『全世界を飛び回り神々や冥府でさえも恐れる蝮のような悪人』(恋の寓喩)と結婚させよ」という恐ろしいものであった。悲しむ人々の中プシューケは一人神託に従うことを決意し、山に運ばれる。
ゼピュロスがこの世のものとは思えない素晴らしい宮殿にプシューケを運び、宮殿の中では見えない声が、この中のものはすべてプシューケのものだといい、食事も音楽も何もかもが心地よく用意されていた。夫は夜になると寝所に現れるのみで姿を見ることはできなかった。
ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ作「アモールとプシュケ」
宮殿での生活を楽しんでいたプシューケだが、やがて家族が恋しくなり、渋る夫を泣き落として二人の姉を宮殿に招く。プシューケの豪華な暮らしに嫉妬した姉達は、姿を見せない夫は実は大蛇でありプシューケを太らせてから食うつもりであると説き、夫が寝ている隙に剃刀で殺すべきであるとけしかけた。この言葉を信じたプシューケが、寝ている夫を殺すべく蝋燭を持って近づくと、そこには凛々しい神の姿が照らし出された。驚いたプシューケは蝋燭の蝋を落としてキューピッドに火傷を負わせてしまう。妻の背信に怒ったキューピッドはその場を飛び去る。
ジュゼッペ・マリア・クレスピ作 キューピッドとプシュケ 1707~09 ウフィッツィ美術館
姉達の姦計にようやく気づいたプシューケは姉達の元へ行くと、今度はキューピッドは姉達と結婚するつもりだと嘘を教えた。喜んだ姉達はゼピュロスが宮殿へ運んでくれると思い、断崖から身を躍らせたが、風は運ばず、姉達は墜落してばらばらに砕けた。
アプロディーテの試練
一方アプロディーテは息子の醜聞に激怒し、アプロディーテ自らの接吻を与えるという懸賞までかけてプシューケを捕らえようとした。恐れたプシューケはデーメーテールに庇護を求めるが、デーメーテールは「アプロディーテとのつきあいがある」との理由で拒否した。そこで今度はヘーラーに庇護を求めるが、ヘーラーは「逃亡した奴婢をかくまってはならないことになっている」と法律を理由に拒否した。
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業を煮やしたアプロディーテは息子キューピッドの火傷の介抱で衰えた美貌を補うために冥府の女王ペルセポネーに美をわけてもらってくるよう命ずる。首尾よく美をわけてもらったプシューケだが、自分の容色も衰えキューピッドの愛も失うのではと不安になり、箱を開けないよう警告されていたにもかかわらず開けてしまう。しかし、中には冥府の眠りが入っていた。
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ネオクラシックを代表するジャスパー
当時 ギリシヤ,ローマ遺跡の発掘とあいまって 典雅なロココから 端正なネオクラシックが 勃興の中 ジョサイアの 古代文明への博学と憧憬が 生み出した ジャスパーウェア(古代ローマの カメオガラスを模して 4年の歳月 1万回にも及ぶ 焼成実験の結果 セッ器藍地に 白いレリーフを貼付する ジャスパーウェアを 1774年に発明)は 時流に乗って ヨーロッパ中を 席捲しました。磁器に先駆けたマイセンや セーブルを襲った この猛威を前に マイセンらは なす術も無く かえって ビスク焼きで後追いするほどでした。
ポートランドの壷
古代ローマ(紀元前27年~紀元14年頃)作のカメオガラス。1582年 古代ローマ皇帝の墓所で 発掘。めぐりめぐって英国国宝となった この壷を 5年の歳月をかけて 1790年 ジャスパーウェアで ジョサイアが 完全復刻に成功。彼の名声は 弥が上にもまし 彼の誇りの象徴となつた ポートランドの壷が 末永く ブランドロゴに採用されております。
英国ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いくつかの窯で 細々と試みられていました。一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤の末 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。1795年頃 この軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに 1819年 現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立
クィーンズウェアに続く このジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(1780年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと 大幅に遅れることに なりました。しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず 1828年には
取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再チャレンジは 1878年の遅きになりました。やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイルドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターンブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。現在のパターンは 1965年発売)を 始 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しいファインボーンチャイナを 完成させました。余談になりますが ウェッジウッド家の 科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアの娘スザンナの子が チャールズ・ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)でも有名で 世に喧伝されました。
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