マイセン 【和風花鳥文金彩 465110】 兼用C/S 00582 40%Off
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祝新入学・新入社フェア (本日~ 4/15) 6客限定
通常30%Off 祝新入学・新入社フェア (本日~ 4/15) 40%Off
和風花鳥
ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット型
エンツゥィーステッドハンドル
ジャポネズリ 465110
ヘロルトは ウィーン・パキエの窯から持ち出した フンガーの顔料や ベトガーの いがみ合う2人の高弟 ケーラーと シュテルツェルが合成した顔料に 自らも開発した顔料〔1723.4.30.秘密主義のケーラーは亡くなるのですが ヘロルトは 看病にかこつけて うまく臨終に立ち会い 彼の隠し金庫の鍵を盗み 顔料調合秘術書を 盗み写し 重要個所は 巧妙に破り盗り(この悪行は 15年後に発覚するのですが すでに 宮廷画家として確固たる地位を 確立しており マイセン委員会でも手出しならず 不問に付されました)自ら開発したマッフル窯で 柿右衛門に勝るとも劣らない 鮮やかな色彩の顔料16色を完成。〕を以って 彼独特のシノワズリを 確立していきました。やがて アウグスト強襲王が 余白の美が美しいと 絶賛する柿右衛門(ヨーロッパにおいて高値を呼んだ)にも 臆せず挑んだ。 ヘロルトの 柿右衛門写しの出来栄えに 王は マイセンが 遂に 柿右衛門に並んだと ご満悦。王の満足するヘロルトの柿右衛門は マイセンの名声を 弥が上にも高めました。時につれ ペインターたちは やがては柿右衛門の模倣を離れ 余白の美・和風の作品を 生み出し 王達を楽しませました。(この和風花鳥文金彩を 柿右衛門に分類しているのが散見されますが マイセン創作のジャポネズリです。ひどいのは シノワズリとしております。)
柿右衛門で再度探してみましたら 南川原柿右衛門B窯 「梅竹に小禽」を見つけました。これは ヴィルヘルム8世陶磁器コレ クション ドイツへッセン州立(カッセル)博物館蔵 有田磁器「色絵竹梅鳥椿文皿」の中央見込部分と酷似しております。
有田磁器 「色絵竹梅鳥椿文皿」
(ついに見つけました。これも中国写しであるのは太湖石から判ります。)
これらの構図にマイセンの「和風花鳥文」が比較的似ております。右側に余白を取ったものは 和洋ともに珍しく ヘロルト後の マイセンペインターの創作的模倣だったのでしょうか?
「梅竹に小禽」の説明に 和風の染付の繋ぎ文 とされておりますが これはまぎれもなく太湖石文だと思われます。
和風花鳥文 古マイセン 金彩絵なく より和風だが 躍動感あり。洗練は 今作にあり。
安物 安いのは当たり前
良いもの安いのが アインさん
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3人の天才ヨハン
1人目はヨハン・フリードリヒ・ベトガー(欧州磁器の父)
錬金術師にて ヨーロッパに 東洋の白磁を もたらした天才です。
2人目は ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト,天才絵付師です。
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
当時名の売れた 彫刻師を以ってしても アウグスト王のお眼鏡に 叶う者無く 色々手を尽くすうちに 灯台下暗し 王は 己の宮廷彫刻家の若い助手に 天分を見出すのです。1731年 見出されたケンドラーは 案に違わず 見事な 鳥獣像を 王の磁器動物園のために 完成させました。王は 己の眼の確かさに満足し 若きケンドラーを 親方に抜擢しました。
写実的迫力ある白磁像を前にして 宮廷官ヘロルトは 天才絵付師の立場が 脅かされる危機感を持ちました。眼力を賞賛された王の ケンドラーへの寵遇にも 今まで マイセンの賞賛を 一身に浴びてきたヘロルトにとって 好ましからざる事でした。しかし ヘロルトのシノワズリも 月日を経て ケンドラーの新鮮さに 叶わなくなっていました。ケンドラーを贔屓にするブリュール伯(ヴィルトシャフテン・山羊に乗った仕立て屋さんの注文主)が 「白鳥のサービス」を 注文する頃 2人の優劣は ケンドラーに軍配が上っておりました。この中世最大のサービスは バロック様式を 代表する窯業界の 佳作でしたが 時は これを厳格なバロックの 最後の徒花となし 優雅なロココ様式のセーヴルが マイセンに取って代わっていきました。栄耀栄華絶頂の ブルボン王朝放蕩王ルイ15世は 東洋の磁器でマイセンの 後塵を拝した上は 文化教養の高さで ザクセンを凌ごうとしました・・・・・・
「欧州磁器戦争史 3人の天才ヨハン-3 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 やがて 14世紀には やはり 景徳鎮で 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
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和風花鳥
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ヘロルトは ウィーン・パキエの窯から持ち出した フンガーの顔料や ベトガーの いがみ合う2人の高弟 ケーラーと シュテルツェルが合成した顔料に 自らも開発した顔料〔1723.4.30.秘密主義のケーラーは亡くなるのですが ヘロルトは 看病にかこつけて うまく臨終に立ち会い 彼の隠し金庫の鍵を盗み 顔料調合秘術書を 盗み写し 重要個所は 巧妙に破り盗り(この悪行は 15年後に発覚するのですが すでに 宮廷画家として確固たる地位を 確立しており マイセン委員会でも手出しならず 不問に付されました)自ら開発したマッフル窯で 柿右衛門に勝るとも劣らない 鮮やかな色彩の顔料16色を完成。〕を以って 彼独特のシノワズリを 確立していきました。やがて アウグスト強襲王が 余白の美が美しいと 絶賛する柿右衛門(ヨーロッパにおいて高値を呼んだ)にも 臆せず挑んだ。 ヘロルトの 柿右衛門写しの出来栄えに 王は マイセンが 遂に 柿右衛門に並んだと ご満悦。王の満足するヘロルトの柿右衛門は マイセンの名声を 弥が上にも高めました。時につれ ペインターたちは やがては柿右衛門の模倣を離れ 余白の美・和風の作品を 生み出し 王達を楽しませました。(この和風花鳥文金彩を 柿右衛門に分類しているのが散見されますが マイセン創作のジャポネズリです。ひどいのは シノワズリとしております。)
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有田磁器 「色絵竹梅鳥椿文皿」
(ついに見つけました。これも中国写しであるのは太湖石から判ります。)
これらの構図にマイセンの「和風花鳥文」が比較的似ております。右側に余白を取ったものは 和洋ともに珍しく ヘロルト後の マイセンペインターの創作的模倣だったのでしょうか?
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1人目はヨハン・フリードリヒ・ベトガー(欧州磁器の父)
錬金術師にて ヨーロッパに 東洋の白磁を もたらした天才です。
2人目は ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト,天才絵付師です。
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
当時名の売れた 彫刻師を以ってしても アウグスト王のお眼鏡に 叶う者無く 色々手を尽くすうちに 灯台下暗し 王は 己の宮廷彫刻家の若い助手に 天分を見出すのです。1731年 見出されたケンドラーは 案に違わず 見事な 鳥獣像を 王の磁器動物園のために 完成させました。王は 己の眼の確かさに満足し 若きケンドラーを 親方に抜擢しました。
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磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 やがて 14世紀には やはり 景徳鎮で 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
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