マイセン 【マイセンバード】 兼用C/S-2 35%Off
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クリスマスフェア (本日~12/25) 1客限り
通常30%Off クリスマスフェア (本日~12/25) 35%Off
マイセン 【マイセンバード】 兼用C/S 3柄 各1客の写真 こちらをクリックしてください。
ドイツには 個人財団のマイセン美術館がたくさんあります。
そこには当時最高のぺインターさんの作品が蒐集されております。
今でも メッセに出てくる よい作品は ドイツの大物政財界人や 蒐集家の手におち 私など あちこちに手を回し よい作品を 愛好家のために 苦労して蒐集しております。私の持論ですが アンティークは古いから良いのではありません。古の刀剣 正宗や 村正などには こんなに科学が進んだ現代でも おいそれとは並べません。今では 技術や伝承が廃れ 美の再現の困難なものこそがアンティークの値打ちではないでしょうか?
ショーヴェ洞窟壁画
古きことを良しとするもの 例えば 世界最古 3万2千年も前のショーヴェ洞窟の壁画や、日本では 15000年前の縄文土器があります。これらは名工の作とか 美とかを愛ずるものではなくて 存在が稀有のことで 歴史的価値観を愛でるものです。人間の進歩への過信を諭す他山の石としても貴重です。蛇足
一般アンティック店 古マイセン 鳥と昆虫
古マイセン 「憧れのヨーロッパ陶磁」展 京都国立博物館で開催 「色絵花卉鳥昆虫文」
多くは言いませんが さすがは国立博物館 先のよりはましですが 当店の【マイセンバード】と比べてみてください。ドイツのマイセンコレクターのアンティークは 当店レベルです。テレビなんかでも時々見かけますが良いアンティックには出会えません。没落貴族などの放出品などにアマチュアさんが出会える僥倖なんて滅多にありません。花咲か爺さんならぬ 欲張り爺さんのガラクタつかみになるのがおちです。もう一度言いますが アンティークは古いから良いのではありません という意味が判っていただけたでしょうか?
ピカピカの 新品です。 現品 即納
ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット型
エンツゥィーステッド・ハンドル
毛1本から描きあげる細密画の鳥
鳥は生きており 今にも飛び立ちそうです。鳥を描かせたら この人の右に出る人が無い 最高の匠(ペインター.No.462)にのみ
描けるものです。ここまでで無くても どの窯でも 鳥は最高のペインターにのみ許される 画題です。
以前 当店のお客さんになられた大学の先生が ペインターナンバー指定でマイセンの鳥をお求めになって来られました。.No.462でなかったので せっかくご指定なさるならと No.462をお勧めしました。先生は さっそく調べて 自分の間違いに気が付いて 東京から飛んで来て 当店で幻の名作に出会って 大変喜んでました。先生の趣味は バードウォッチングだそうで 鳥名には詳しい人でした。
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鳥拡大 ソーサー絵 反対面
マイセン 【 マイセンバード 】 クリスマスフェア お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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錬金術師-4
ヨーロッパ諸窯で行われていた 焼き締め陶器を ガラス質の炻器に変成し得たベトガー。次こそは 磁器にとはやる彼に 王より 実験中止と ケーニヒシュタイン要塞への 避難命令が 発令されました。 ポーランド王でもあった アウグストは スウェーデン王カール12世と 領有権をめぐり 戦争の渦中にありましたが,戦いに敗れ ザクセン本国へまで その侵攻を被る 羽目に陥っておりました。錬金術への信奉 並々ならぬ カール12世から,ベトガーを とられまいとする為の 緊急避難命令でした。それから1年 煉獄生活のすることのない 無聊に不慣れなベトガーは あてがわれる酒でも癒せない苦しみを 王に訴え 実験再開を求めました。アウグストは ポーランド王を退位し 政情の落ち着いたドレスデンの 乙女の砦 ユングフェルン(ドレスデン市民が恐れる 乙女の砦 には 鋼鉄の女と呼ばれる 鋭い剣の腕を 振り回し 人をバラバラに切り刻む機械が 暗い洞穴にあるとか 噂されておりました。宮廷で失寵した者が 目隠しをされ この機械にむかって歩かされ 切り刻まれた肉塊は まだ温もりも冷めやらぬまま 床の落し戸から エルベ川に 投下されるとか・・・こんな怖いところに ベトガーを移したのは 失敗は許さぬという 王の不退転の決意表明では・・・・)に 実験窯を新設し ベトガーを呼び戻しました。1707年9月のことでした ・・・・・・・・
「欧州磁器戦争史 錬金術師 4」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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錬金術師-4
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