リチャードジノリ 【インペロブルー】 23cmクレセント 40%Off
リチャードジノリ 【インペロブルー】 23cmクレセント 40%Off
お中元ギフトフェア ( 6/15~ 7/10) ラッキーセブン 7枚限定
グッチ・ジノリで コンテッサ・インデェコとして復活?
先日 東京のお客様から 電話がありました。
某百貨店で インペロブルーを見たのですが アインさんで買った自分の持ってるものとは全然違うのでびっくりしました。
お答え
和名 コンテッサ・インディゴのことですね。それは スプレイであっさり仕上げられた 美しい現代作です。重厚な 手塗りのインペロブルーとは 似て非なるものです。美しさの好みは 色々ですね。只 今作と違って 手間は10倍も違うのは確かです。
お客さん
アインさんの貫禄のインペロが 無くならないうちに追加注文します。
違いを分かってくださる方に 幸多かれ。 目出度し芽出度し!
79年のヴェスヴィオ火山噴火
79年8月24日の午後1時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。翌25日の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。降下火山灰はその後も続いた。海の水がみるみる引いていった後に「津波」がおきた。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。
ポンペイの遺跡とヴェスヴィオ火山
19世紀に発掘されるポンペイ
発掘された肖像画、フレスコ、国立ナポリ考古学博物館
散発的に古代の品が発見されたので、下に都市が埋まっていることは知られていた。1599年 フォンターナという建築家がサルノ川沿いを掘っていて遺跡を見つけた。1748年にポンペイが再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために断続的に発掘が行われた。ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっている。男女の交わりを描いた絵も有名で、これらは娼婦の館やフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。
娼婦館の壁画
1000平方メートルの広さをもつ、「グランドホテル 」は、町のそばで見つかった。
ポンペイの壁画が豊かな色彩を失わなかった秘密は、この街を襲った悲劇にあった。ヴェスヴィオ火山の噴火により押し寄せた火砕流や有毒ガスが、地震の前には2万人程度いたポンペイ市民の内、街から逃げ遅れた者約2千人の命を次々と奪っていった。一瞬にして5 メートルの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が、当時の人々の生活をそのままの状態で保存した。ポンペイが人々の前にその姿を再び現した18世紀半ばから、発掘は今に至るまで続けられている。地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕したが、その美しさの秘密は 実は火砕流堆積物にあった。火山灰を主体の火砕流堆積物には 乾燥剤のシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められた。当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「遺跡のシンボル ポンペイ・レッド(イタリア学術会議 の研究結果、実は黄土色だったらしい)」と呼ばれている。
宗教儀式 遺跡のシンボル ポンペイ・レッド
ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになった。ポンペイは 建造物や街区が古代ローマのままの唯一の町として知られている。ポンペイこそが最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りが規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。居酒屋のメニューも残っていて、こう記されている。「お客様へ、私どもは台所に鶏肉、魚、豚、孔雀(くじゃく)などを用意してあります。」
現在 朝日新聞連載中 夏目漱石の長編小説であり、処女小説 『吾輩は猫である』。 孔雀の件。
迷亭 苦沙弥の友人の美学者。ホラ話で人をかついで楽しむのが趣味の粋人(美学者大塚保治がモデルともいわれるが漱石は否定したという。また、漱石の妻鏡子の著書『漱石の思ひ出』には、漱石自身が自らの洒落好きな性格を一人歩きさせた)。
(迷亭)
「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度心得に御座候。寒厨何の珍味も無之候えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候。……」 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人(珍野苦沙弥先生)はちょっとむっとする。
「然しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候も計りがたきにつき、其節は孔雀の舌でも御風味に入れ可申候。……」両天秤をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。
「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半ばにも足らぬ程故健啖なる大兄の胃嚢を充たす為には……」
うそをつけと主人は打ち遣ったようにいう。
「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可らずと存候。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔には一向見当り不申、苦心此事に御座候。」独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫も感謝の意を表しない。
「此孔雀の舌の料理は往昔)羅馬全盛の砌、一時非常に流行致し候ものにて、豪奢風流の極度と平生よりひそかに食指を動かし居候次第御諒察可被下候。……」何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。
「降って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候。レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待致し候節も慥か孔雀を使用致し候様記憶致候。有名なるレンブラントが画き候饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘卓上に横わり居り候……」
安藤 橡面坊 俳人
「栃麺棒」 うろたえあわてること。
石膏で復元した遺体
79年の爆発のときに発生した火砕流の速度は時速 100 km 以上であり市民は 到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。後に発掘されたときには遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した。顔までは再現できなかったが、恐怖の表情がはっきり分かるものもある。母親が子供を覆い隠し、襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も生々しく再現された。この様子は火砕流が一瞬にしてポンペイ市を埋め尽くしたことを示している。町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きが当時のラテン語をそのまま伝えている。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。当時のポンペイはとても活気のある都市だった。整備された上下水道の水道の弁は、水の量を調節する仕組みが現在とほとんど変わらず、きれいな水を町中に送っていた。トイレが社交の場となっていたらしく二人掛けのトイレが存在し、トイレは奴隷とその主が共同で使用しており、トイレの壁に「見事だ」と奴隷による落書きが残された遺構がある。発掘された排泄物や骨の調査から、身分によって食事の内容が違う事はなく、皆健康的な食生活を送っていたらしい。
ローマ市民の別荘も多くあり、また彼ら向けのサービスとして 大食物市場、製粉所、冷熱飲料バー、小レストラン、円形劇場 娼婦の館などがあり、噴火直前までこれらが営業していた痕跡がある。2002年にはサルノ川河口にボートを浮かべ、ヴェネツィアのような船上生活をしていた人がいたことが判明するなど現在も新事実が続々と報告されている。
ポンペイの建築物が発掘により白日の下にさらされ、止まった時計が再び動き出すように、風雨による腐朽が進行するようになった。2010年11月には「剣闘士の家」と呼ばれた建物が倒壊し、翌2011年10月には「ポルタノラの壁」が倒壊している。他の建築物も同様に崩壊していくものと思われる。
ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品
手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。
ソーサー中央に描かれるは
古代ローマ ヴェスピオス火山噴火により 埋もれた ポンペイ遺跡より 出土の壷
この重厚感 あふれ ジノリを代表するシリーズは 20年前ヨーロッパ最大の ジノリ代理店の 依頼を受けて マルクで仕込みました。欧州一番店に比べ アインに足らざる歴史と伝統を買いました。現在ではコスト面から制作困難な手工芸品を 創業26周年謝恩価格でご提供
インペロシェープ
ジノリを 代表する アンピール様式の花
(ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)
本金は 古色が付いています。
風格ある古色は捨てがたいのですが 軽く磨くと すぐ元の金ピカになります。
リチャードジノリ 【インペロブルー】 23cmクレセント 40%Off のお求めはコチラ
写真はクリック拡大
ポンペイ遺跡出土の壷 シェープ ドッチア窯 金ロゴ
リチャードジノリ 【 インペロブルー 】 お宝倉庫に 買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
「欧州磁器戦争史 (リチャードジノリ)」 詳しくは コチラをクリック してください。
「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」
そして それはヨーロッパ文化の論理的価値観の体現(具体的表現)にほかなりません。
各々が 各々を 最善に主張しながら 全体の場を 相乗的に盛り上げます。
洋食器は ヨーロッパの 論理的価値観が生み出した 交響楽 そのものです。
洋食器店 そう呼べるのが アインです。
なぜ アインが?
それは まごうことなき洋食器が 所を得て キラ星の如くあるからです。
作る人 商う人 購う人 この三者の 苦しくも 楽しき努力は
振舞われる人の いともたやすき理解 感嘆となるでしょう。
オーケストラ それは洋食器です。
されど洋食器の殿堂 それは黙して奏でます。
美しき妖精達は 美しき日本の貴方の琴線に 触れずにはおかないでしょう。
お中元ギフトフェア ( 6/15~ 7/10) ラッキーセブン 7枚限定
グッチ・ジノリで コンテッサ・インデェコとして復活?
先日 東京のお客様から 電話がありました。
某百貨店で インペロブルーを見たのですが アインさんで買った自分の持ってるものとは全然違うのでびっくりしました。
お答え
和名 コンテッサ・インディゴのことですね。それは スプレイであっさり仕上げられた 美しい現代作です。重厚な 手塗りのインペロブルーとは 似て非なるものです。美しさの好みは 色々ですね。只 今作と違って 手間は10倍も違うのは確かです。
お客さん
アインさんの貫禄のインペロが 無くならないうちに追加注文します。
違いを分かってくださる方に 幸多かれ。 目出度し芽出度し!
79年のヴェスヴィオ火山噴火
79年8月24日の午後1時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、一昼夜に渡って火山灰が降り続けた。翌25日の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。降下火山灰はその後も続いた。海の水がみるみる引いていった後に「津波」がおきた。噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。
ポンペイの遺跡とヴェスヴィオ火山
19世紀に発掘されるポンペイ
発掘された肖像画、フレスコ、国立ナポリ考古学博物館
散発的に古代の品が発見されたので、下に都市が埋まっていることは知られていた。1599年 フォンターナという建築家がサルノ川沿いを掘っていて遺跡を見つけた。1748年にポンペイが再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために断続的に発掘が行われた。ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっている。ポンペイの壁画の様式には年代により変遷が見られ、主題も静物、風景、風俗、神話と多岐にわたっている。男女の交わりを描いた絵も有名で、これらは娼婦の館やフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で保存され続けていた。
娼婦館の壁画
1000平方メートルの広さをもつ、「グランドホテル 」は、町のそばで見つかった。
ポンペイの壁画が豊かな色彩を失わなかった秘密は、この街を襲った悲劇にあった。ヴェスヴィオ火山の噴火により押し寄せた火砕流や有毒ガスが、地震の前には2万人程度いたポンペイ市民の内、街から逃げ遅れた者約2千人の命を次々と奪っていった。一瞬にして5 メートルの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が、当時の人々の生活をそのままの状態で保存した。ポンペイが人々の前にその姿を再び現した18世紀半ばから、発掘は今に至るまで続けられている。地中から次々と現れるローマ時代の遺品の美しさに世界が驚愕したが、その美しさの秘密は 実は火砕流堆積物にあった。火山灰を主体の火砕流堆積物には 乾燥剤のシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められた。当時の宗教儀式の様子を描いた壁画の鮮烈な色合いは「遺跡のシンボル ポンペイ・レッド(イタリア学術会議 の研究結果、実は黄土色だったらしい)」と呼ばれている。
宗教儀式 遺跡のシンボル ポンペイ・レッド
ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝えることになった。ポンペイは 建造物や街区が古代ローマのままの唯一の町として知られている。ポンペイこそが最も純粋に古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りが規則的に区切られ、計画的に設計された町であった。通りの両側には家と店がある。建造物は石でできていた。居酒屋のメニューも残っていて、こう記されている。「お客様へ、私どもは台所に鶏肉、魚、豚、孔雀(くじゃく)などを用意してあります。」
現在 朝日新聞連載中 夏目漱石の長編小説であり、処女小説 『吾輩は猫である』。 孔雀の件。
迷亭 苦沙弥の友人の美学者。ホラ話で人をかついで楽しむのが趣味の粋人(美学者大塚保治がモデルともいわれるが漱石は否定したという。また、漱石の妻鏡子の著書『漱石の思ひ出』には、漱石自身が自らの洒落好きな性格を一人歩きさせた)。
(迷亭)
「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度心得に御座候。寒厨何の珍味も無之候えども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候。……」 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人(珍野苦沙弥先生)はちょっとむっとする。
「然しトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候も計りがたきにつき、其節は孔雀の舌でも御風味に入れ可申候。……」両天秤をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。
「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半ばにも足らぬ程故健啖なる大兄の胃嚢を充たす為には……」
うそをつけと主人は打ち遣ったようにいう。
「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可らずと存候。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔には一向見当り不申、苦心此事に御座候。」独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫も感謝の意を表しない。
「此孔雀の舌の料理は往昔)羅馬全盛の砌、一時非常に流行致し候ものにて、豪奢風流の極度と平生よりひそかに食指を動かし居候次第御諒察可被下候。……」何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。
「降って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候。レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待致し候節も慥か孔雀を使用致し候様記憶致候。有名なるレンブラントが画き候饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘卓上に横わり居り候……」
安藤 橡面坊 俳人
「栃麺棒」 うろたえあわてること。
石膏で復元した遺体
79年の爆発のときに発生した火砕流の速度は時速 100 km 以上であり市民は 到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになった。後に発掘されたときには遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていた。考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現した。顔までは再現できなかったが、恐怖の表情がはっきり分かるものもある。母親が子供を覆い隠し、襲い来る火砕流から子供だけでも守ろうとした様子も、飼われていた犬がもだえ苦しむ様子も生々しく再現された。この様子は火砕流が一瞬にしてポンペイ市を埋め尽くしたことを示している。町は、1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子をそのまま伝える。焼いたままのパンや、テーブルに並べられたままの当時の食事と食器、コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在、壁の落書きが当時のラテン語をそのまま伝えている。保存状態のよいフレスコ画は、当時の文化をそのまま伝える。当時のポンペイはとても活気のある都市だった。整備された上下水道の水道の弁は、水の量を調節する仕組みが現在とほとんど変わらず、きれいな水を町中に送っていた。トイレが社交の場となっていたらしく二人掛けのトイレが存在し、トイレは奴隷とその主が共同で使用しており、トイレの壁に「見事だ」と奴隷による落書きが残された遺構がある。発掘された排泄物や骨の調査から、身分によって食事の内容が違う事はなく、皆健康的な食生活を送っていたらしい。
ローマ市民の別荘も多くあり、また彼ら向けのサービスとして 大食物市場、製粉所、冷熱飲料バー、小レストラン、円形劇場 娼婦の館などがあり、噴火直前までこれらが営業していた痕跡がある。2002年にはサルノ川河口にボートを浮かべ、ヴェネツィアのような船上生活をしていた人がいたことが判明するなど現在も新事実が続々と報告されている。
ポンペイの建築物が発掘により白日の下にさらされ、止まった時計が再び動き出すように、風雨による腐朽が進行するようになった。2010年11月には「剣闘士の家」と呼ばれた建物が倒壊し、翌2011年10月には「ポルタノラの壁」が倒壊している。他の建築物も同様に崩壊していくものと思われる。
ジノリの誇り ドッチア窯 金ロゴ
有るのが不思議なエナメル手工芸・廃盤品
手塗りのエナメルは 深い漆の質感を 呈します。
ソーサー中央に描かれるは
古代ローマ ヴェスピオス火山噴火により 埋もれた ポンペイ遺跡より 出土の壷
この重厚感 あふれ ジノリを代表するシリーズは 20年前ヨーロッパ最大の ジノリ代理店の 依頼を受けて マルクで仕込みました。欧州一番店に比べ アインに足らざる歴史と伝統を買いました。現在ではコスト面から制作困難な手工芸品を 創業26周年謝恩価格でご提供
インペロシェープ
ジノリを 代表する アンピール様式の花
(ネオクラシック後期 ナポレオン好みの 端正・簡潔な この様式が派生)
本金は 古色が付いています。
風格ある古色は捨てがたいのですが 軽く磨くと すぐ元の金ピカになります。
リチャードジノリ 【インペロブルー】 23cmクレセント 40%Off のお求めはコチラ
写真はクリック拡大
ポンペイ遺跡出土の壷 シェープ ドッチア窯 金ロゴ
リチャードジノリ 【 インペロブルー 】 お宝倉庫に 買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
「欧州磁器戦争史 (リチャードジノリ)」 詳しくは コチラをクリック してください。
「洋食器ーそれは交響楽(オーケストラ)です。」
そして それはヨーロッパ文化の論理的価値観の体現(具体的表現)にほかなりません。
各々が 各々を 最善に主張しながら 全体の場を 相乗的に盛り上げます。
洋食器は ヨーロッパの 論理的価値観が生み出した 交響楽 そのものです。
洋食器店 そう呼べるのが アインです。
なぜ アインが?
それは まごうことなき洋食器が 所を得て キラ星の如くあるからです。
作る人 商う人 購う人 この三者の 苦しくも 楽しき努力は
振舞われる人の いともたやすき理解 感嘆となるでしょう。
オーケストラ それは洋食器です。
されど洋食器の殿堂 それは黙して奏でます。
美しき妖精達は 美しき日本の貴方の琴線に 触れずにはおかないでしょう。
コメント
コメントの投稿
« ウェッジウッド 【フローレンティンターコイズ】 タンカードマグ 20%Off l Home l マイセン 【ワトーグリーン】 兼用C/S C 35%Off »