マイセン 【アラビアンナイト 千夜一夜】 18cmプレート-3 35%Off
マイセン 【アラビアンナイト 千夜一夜】 18cmプレート-3 35%Off
祝 母の日フェア ( 4/25~ 5/ 8) 1画限定
マイセン 【アラビアンナイト 千夜一夜】 18cmプレート 六画各1枚 30%Off のお求めはコチラ
18cmプレート 6柄 6枚セットあります。
アラビアンナイト 千夜一夜
昨年のことですが あるお客様から 「アラビアンナイト千夜一夜 を買おうと思うのですが インターネット店に 428万円で出ているのがあるのですが どうせなら信頼できる アインさんで買いたい。ついては 同額にしてくれませんか?」 との申し入れがありました。私は「おかしいですね 今 日本に このフルセットの新品は アインにしかありません。真正品なら 大変お得ですね。調べてみます。」 と返事をして さっそく調べました。 新品 中古品以前の それは 見る人が見れば 一目でわかる駄作です。あえて真贋について触れないのは それを ここで言いますと より良い贋作つくりに手を貸すことになるからです。業界で 名の売れたお店なら 取り扱うことのないお品です。金彩が本金でないためか下品で 絵付けのグラディエーション荒く 筆数貧しく 絵に品がありません。デコーナンバーも シェイプナンバーも? これ以上はやめます。由緒正しき 当店お品をとくとご覧ください。
アラビアンナイト千夜一夜
妻の不貞から 女性不信となった シャフリヤール王が、国の若い女性と一夜を過ごしては 殺していたのを 止めさようと、大臣の娘シェヘラザードが 自ら王の元に嫁ぎ 彼女は 毎夜、王に興味深い物語を 語りました。彼女は話が佳境に入った所で 「続きはまた明日」と 打ち切るため、王は次の話が聞きたくてシェヘラザードを 殺すのを思いとどまり、それが二百数十夜続きました。王は もっと続きの話を 聞きたいがために ついに殺すのを止めさせるという物語。(また、姉のシェヘラザードの傍らに、妹のドゥンヤザードもおりましたとさ)。
シェヘラザードとシャフリヤール(フェルディナント・ケラー画・1880年)
『アリババと40人の盗賊』
昔、ペルシャの国に、貧乏だが真面目で働き者のアリババという男がいた。ある日のこと、アリババがロバを連れて近くの山へ行き、薪を集めていると、40人の盗賊の一団が奪った財宝を洞穴の中に隠しているのを偶然目撃した。盗賊の頭領が「おいシムシム(胡麻)、お前の門を開けろ!」という呪文を唱えると、洞穴の入口をふさぐ岩の扉が開き、盗賊たちが洞穴の中に入ると自動的に岩の扉が閉まる。しばらくすると再び岩の扉が開き、盗賊たちが外に出て来た後、扉は再び閉まった。その一部始終を木の陰に隠れて見ていたアリババは、盗賊たちが立ち去るのを待って自分も洞穴の中に入り、手近な場所に置いてあった金貨の袋をロバの背中に積めるだけ積んで家へ持ち帰った。かくして大金持ちになったアリババは、このことを妻以外の者には秘密にしていたが、不運にも元から金持ちの兄・カシムに知られてしまった。強欲でねたみ深い性格のカシムは、金貨を手に入れた経緯と洞穴の扉を開けるための呪文をアリババから無理やり聞き出し、自分も財宝を狙って洞穴に忍び込んだ。ところが、洞穴の中の財宝に夢中になり過ぎて、扉を再び開ける呪文を忘れてしまい、洞穴から出られなくなったところを、戻って来た盗賊たちに見付かり、カシムはバラバラに切り刻まれて惨殺されてしまった。カシムがいつまでも帰って来ないのを心配したアリババは、翌日になって洞穴へ向かい、盗賊たちの手でバラバラにされたカシムの死体を発見した。驚いたアリババは、カシムの死体を袋に入れ、ロバの背中に乗せて密かに持ち帰り、カシムの家に仕えていた若くて聡明な女奴隷のモルジアナと相談の末、遠くの町から仕立屋の老人を呼んで、死体を元通りの形に縫い合わせてもらい、表向きはカシムが病死したことにして、内密に葬儀をすませた。その後はカシムの家と財産もアリババの物になり、アリババはカシムの一人息子を養子にして、この上もなく恵まれた身分の男になった。一方、洞穴の中から金貨の袋と死体が持ち去られたことに気付いた盗賊たちは、死んだ男の他にも仲間がいると考えて、すぐに捜査を始め、死体を縫い合わせた老人を見付けて、情報を聞き出すことに成功した。そして、老人の協力でアリババの家(元・カシムの家)を見付けた盗賊たちは、頭領が20頭のロバを連れた旅の油商人に変装し、ロバの背中に2つずつ積んである油容器の中に39人の手下たちが隠れ、アリババの家に一夜の宿を求めて泊めてもらう作戦で家の中に入り込み、家の人々が寝静まるのを待ってアリババを殺そうと企てたが、庭に運び込まれた油容器の中身が盗賊たちと気付いたモルジアナは、1つだけ本物の油が入っている容器を探し当てると、急いでその油を台所へ運び込み、大鍋に入れて沸騰させ、煮えたぎった油を全ての容器に注ぎ込んで、中に隠れている盗賊たちを一人残らず殺した。そうとも知らず夜中に寝床から起き上がり、仕事に取りかかるために手下たちを呼ぼうとした頭領は、容器の中をのぞき込んで手下たちの全滅を知ると、驚いて単身アリババの家から逃げ去った。しばらくの後、盗賊の頭領は偽名を使って今度は宝石商人になりすまし、カシムの息子が経営する商店の近所に住み着いて、カシムの息子と親しくなり、アリババの家に客人として招かれた。頭領は服の中に隠し持った短剣でアリババを殺すつもりだったが、またしても客人の正体を見抜いたモルジアナは、余興として客人に舞踊を披露すると言い、彼女も短剣を持って踊りながら隙を見て頭領を刺し殺し、アリババ達に客人の正体を晒した。かくして40人の盗賊たちは、聡明なモルジアナの機転により全員返り討ちにされた。この功績によって、モルジアナは奴隷の身分から一躍カシムの息子の妻になり、洞穴の中に残っていた莫大な財宝は国中の貧しい人たちに分け与えられて、アリババの家は末永く栄えた。
木の陰に隠れて見ていたアリババ 「おいシムシム(胡麻)、お前の門を開けろ!」
『アラジンと魔法のランプ』『船乗りシンドバッドの冒険』等 架空の冒険商人たちをモデルにした人物から、アッバース朝のカリフである ハールーン・アッラシードや、その妃のズバイダのような 実在の人物までが登場し、多彩な物語を繰り広げております。説話は 様々な地域に起源をもち、中世のイスラム世界が 生き生きと描き出されております。おそらくは9世紀もしくは10世紀のバグダードで原型がつくられ、徐々に物語がつけ足されてゆき、その物語に多くの病気が登場するにもかかわらず梅毒が登場しないことなどから千夜一夜物語の下限を15世紀から16世紀のカイロで最終的なかたちにまとめられたのではないかと思われる。やがて ヨーロッパに 千夜一夜 が翻訳されていったものは 二百数十夜の40話でしか ありませんでした。ヨーロッパの人たちは この面白い物語が アラブには 題名通り 千夜一夜 有ったはずで 残りは自分たちに 伝わってきてないと思い それ探しに奔走するのです。そこに便乗して アラブの人や ヨーロッパの人が こんな話を聞いた こんな写本があったと 千夜一夜を作り上げていったのです。これが偽本であるのは 多くの写本の はじめの二百数十夜は ほぼ共通しておりますが 加えられた物語は かなり内容も 順序も違うのから判ります。
2010年、エジプトの弁護士団体「制限なき弁護士団」が「公序良俗に反する」として出版者の逮捕と同書の押収を当局に要求し、これに対して作家や人権団体などの反発が起こった。同説話には性的描写も多く含まれるため、「反イスラム的」として標的にされたと言われている。
ハインツ・ベルナー教授 原作
アラビアンナイト 千夜一夜
ピカピカの 新品です。 現品 即納
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シェープ
マイセン 【 アラビアンナイト 千夜一夜 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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錬金術師-4
アウグストは ポーランド王を退位し 政情の落ち着いたドレスデンの 乙女の砦 ユングフェルンに 実験窯を新設し ベトガーを呼び戻しました。1707年9月のことでした。それから半年を経ずして ベトガーは 磁器の主成分である磁土カオリンに 到達しました。(景徳鎮近郊の高嶺山 中国発音カオリン山は 磁土で出来ている山で あったので 西洋でも磁土のことを カオリンと呼びます。この時のベトガーの磁器は カオリンと 雪花石膏アラバスターから成っており 東洋のカオリンと 白不子から成るものより 僅かに黄味がかっていました)。西洋中が 数世紀 孜々として研究 待望した磁器の秘法は 今や若き錬金術師ベトガーの手中にありました。1708年1月 遂に 錬金術師ベトガーは 黄金ならぬ白い黄金 本家東洋に さほど遜色のない白磁を 手に入れたのです。この年の10月に ベトガーは 師とも 父とも仰ぐチルンハウスを 彼の看病も空しく なくしました。悲しみから逃れるように より東洋の白磁を目指し 実験を続けました。ベトガーが 王への手紙に「中国に 勝るとも劣らぬ 白磁完成」を 認める事ができたのは 1709年3月の事でした。(真の東洋の白磁完成は 雪花石膏媒溶剤から 長石・石英に至る1724年まで 待たねばなりませんでした。)更にその後も 商品化に向けてベトガーの実験・研究は進み アルブレヒト城に マイセン工場が 1710年6月 秘密裏に設立され 輝かしきマイセンの誕生となったのです・・・・・・・・
「欧州磁器戦争史 錬金術師 4」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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アラビアンナイト 千夜一夜
昨年のことですが あるお客様から 「アラビアンナイト千夜一夜 を買おうと思うのですが インターネット店に 428万円で出ているのがあるのですが どうせなら信頼できる アインさんで買いたい。ついては 同額にしてくれませんか?」 との申し入れがありました。私は「おかしいですね 今 日本に このフルセットの新品は アインにしかありません。真正品なら 大変お得ですね。調べてみます。」 と返事をして さっそく調べました。 新品 中古品以前の それは 見る人が見れば 一目でわかる駄作です。あえて真贋について触れないのは それを ここで言いますと より良い贋作つくりに手を貸すことになるからです。業界で 名の売れたお店なら 取り扱うことのないお品です。金彩が本金でないためか下品で 絵付けのグラディエーション荒く 筆数貧しく 絵に品がありません。デコーナンバーも シェイプナンバーも? これ以上はやめます。由緒正しき 当店お品をとくとご覧ください。
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妻の不貞から 女性不信となった シャフリヤール王が、国の若い女性と一夜を過ごしては 殺していたのを 止めさようと、大臣の娘シェヘラザードが 自ら王の元に嫁ぎ 彼女は 毎夜、王に興味深い物語を 語りました。彼女は話が佳境に入った所で 「続きはまた明日」と 打ち切るため、王は次の話が聞きたくてシェヘラザードを 殺すのを思いとどまり、それが二百数十夜続きました。王は もっと続きの話を 聞きたいがために ついに殺すのを止めさせるという物語。(また、姉のシェヘラザードの傍らに、妹のドゥンヤザードもおりましたとさ)。
シェヘラザードとシャフリヤール(フェルディナント・ケラー画・1880年)
『アリババと40人の盗賊』
昔、ペルシャの国に、貧乏だが真面目で働き者のアリババという男がいた。ある日のこと、アリババがロバを連れて近くの山へ行き、薪を集めていると、40人の盗賊の一団が奪った財宝を洞穴の中に隠しているのを偶然目撃した。盗賊の頭領が「おいシムシム(胡麻)、お前の門を開けろ!」という呪文を唱えると、洞穴の入口をふさぐ岩の扉が開き、盗賊たちが洞穴の中に入ると自動的に岩の扉が閉まる。しばらくすると再び岩の扉が開き、盗賊たちが外に出て来た後、扉は再び閉まった。その一部始終を木の陰に隠れて見ていたアリババは、盗賊たちが立ち去るのを待って自分も洞穴の中に入り、手近な場所に置いてあった金貨の袋をロバの背中に積めるだけ積んで家へ持ち帰った。かくして大金持ちになったアリババは、このことを妻以外の者には秘密にしていたが、不運にも元から金持ちの兄・カシムに知られてしまった。強欲でねたみ深い性格のカシムは、金貨を手に入れた経緯と洞穴の扉を開けるための呪文をアリババから無理やり聞き出し、自分も財宝を狙って洞穴に忍び込んだ。ところが、洞穴の中の財宝に夢中になり過ぎて、扉を再び開ける呪文を忘れてしまい、洞穴から出られなくなったところを、戻って来た盗賊たちに見付かり、カシムはバラバラに切り刻まれて惨殺されてしまった。カシムがいつまでも帰って来ないのを心配したアリババは、翌日になって洞穴へ向かい、盗賊たちの手でバラバラにされたカシムの死体を発見した。驚いたアリババは、カシムの死体を袋に入れ、ロバの背中に乗せて密かに持ち帰り、カシムの家に仕えていた若くて聡明な女奴隷のモルジアナと相談の末、遠くの町から仕立屋の老人を呼んで、死体を元通りの形に縫い合わせてもらい、表向きはカシムが病死したことにして、内密に葬儀をすませた。その後はカシムの家と財産もアリババの物になり、アリババはカシムの一人息子を養子にして、この上もなく恵まれた身分の男になった。一方、洞穴の中から金貨の袋と死体が持ち去られたことに気付いた盗賊たちは、死んだ男の他にも仲間がいると考えて、すぐに捜査を始め、死体を縫い合わせた老人を見付けて、情報を聞き出すことに成功した。そして、老人の協力でアリババの家(元・カシムの家)を見付けた盗賊たちは、頭領が20頭のロバを連れた旅の油商人に変装し、ロバの背中に2つずつ積んである油容器の中に39人の手下たちが隠れ、アリババの家に一夜の宿を求めて泊めてもらう作戦で家の中に入り込み、家の人々が寝静まるのを待ってアリババを殺そうと企てたが、庭に運び込まれた油容器の中身が盗賊たちと気付いたモルジアナは、1つだけ本物の油が入っている容器を探し当てると、急いでその油を台所へ運び込み、大鍋に入れて沸騰させ、煮えたぎった油を全ての容器に注ぎ込んで、中に隠れている盗賊たちを一人残らず殺した。そうとも知らず夜中に寝床から起き上がり、仕事に取りかかるために手下たちを呼ぼうとした頭領は、容器の中をのぞき込んで手下たちの全滅を知ると、驚いて単身アリババの家から逃げ去った。しばらくの後、盗賊の頭領は偽名を使って今度は宝石商人になりすまし、カシムの息子が経営する商店の近所に住み着いて、カシムの息子と親しくなり、アリババの家に客人として招かれた。頭領は服の中に隠し持った短剣でアリババを殺すつもりだったが、またしても客人の正体を見抜いたモルジアナは、余興として客人に舞踊を披露すると言い、彼女も短剣を持って踊りながら隙を見て頭領を刺し殺し、アリババ達に客人の正体を晒した。かくして40人の盗賊たちは、聡明なモルジアナの機転により全員返り討ちにされた。この功績によって、モルジアナは奴隷の身分から一躍カシムの息子の妻になり、洞穴の中に残っていた莫大な財宝は国中の貧しい人たちに分け与えられて、アリババの家は末永く栄えた。
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磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
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