マイセン 【インドの花・縁取・340310】 ティー23ピースセット 30%Off
マイセン 【インドの花・縁取・340310】 ティー23ピースセット 30%Off
祝 ホワイトデイ・フェア ( 2/12~ 3/14) 1セット限定
ティーC/S・18.5cmプレート 各6
ティーポット・シュガー・クリーマー 各1
シノワズリ
ヘロルトは ウィーン・パキエの窯から持ち出した フンガーの顔料や ベトガーの いがみ合う2人の高弟 ケーラーと シュテルツェルが合成した顔料に 自らも開発した顔料〔.秘密主義のケーラーは亡くなるのですが ヘロルトは 看病にかこつけて うまく臨終に立ち会い 彼の隠し金庫の鍵を盗み 顔料調合秘術書を 盗み写し 重要個所は 巧妙に破り盗り(この悪行は 15年後に発覚するのですが すでに 宮廷画家として確固たる地位を 確立しており マイセン委員会でも手出しならず 不問に付されました)自ら開発したマッフル窯で 柿右衛門に勝るとも劣らない 鮮やかな色彩の顔料16色を完成。〕を以って 彼独特のシノワズリを 確立していきました。
柿右衛門写しのシノワズリ?
オランダの東インド会社によってもたらされた白磁に 絵付けされている異郷の花の絵は 多分インドの花に違いないとして 柿右衛門描くところの日本の花を インドの花-343310と名づけました。3で始まる柄番号は シノワズリの分類でした。しかし 多彩色を考案したアールヌーボー期には 柿右衛門と判っていたらしく 柄番号451110と 4で始まるジャポネズリに分類しております。
インドの花 多彩色 451110 アンティーク
同じアールヌーボー期のこの作品に 340310とシノワズリ番号に戻っております。柿右衛門と分かっていたのに ジャポネズリにしてないのは アウグスト強襲王や ヘロルトが 柿右衛門描く処のこの絵を 東洋風散花文シノワズリに分類してたのを 柿右衛門も東洋だと強弁したいのでしょうか?しかし 無理があるのは ジャポネズリの分類があります。ただ日本の文献や インターネットを見ても 総てと言ってもいいほど シノワズリになっております。ひどいのは 華と 花の混用が散見され プロとして 興ざめです。
マイセンでは 本来 高値を呼ぶ 柿右衛門名に変更したかったのですが すでに東洋風散花文 インドの花は ブランドとして知名度高く 定着しておりましたので 名称は 継続されました。 初期の シノワズリ分類の不明を 糊塗するにも好都合でしたのでしょう。何せ 美への眼力自慢の アウグスト強襲王の柿右衛門贔屓が 柿右衛門と見抜けなかったのですから。シノワズリ ジャポネズリを確立したヘロルトも アウグスト強襲王とともに 同じ轍を踏んでおります。
柿右衛門と判ってからも インドの花としてペインターたちは 時につれ 多くの バリエーションを 生み出し 王達を楽しませました。他窯でも たくさん写され ヨーロッパ中に 大流行しました。第1次世界大戦末期 1918年に ザクセン王国は 瓦解するのですが 国立窯となっても この人気作品は 1730年ごろ以来 約3世紀 折あるごとに 作り続けられ 復刻というより 「偉大なマンネリズム」 の代表作の1つとなっております。
3人の天才ヨハンによる伝統の 復刻版
1)ヨハン・フリードリヒ・ベトガーによる ヨーロッパ 初の ポースレーン
2)ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト原画
3)ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット型 エンツゥイステッド・ハンドル
ピカピカの 新品です。 現品 即納
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錬金術師-1
古代文明で生まれた 賢者の石(卑金属を黄金に変える秘宝の石)
この研究は やがて 古代ギリシアや アラビアに 迷信的に 深まりました。中世科学者も その迷信を信じ 進歩著しい 科学的分析手法を用いて 追い求めました。皮肉にも 多くの一流科学者の 熱心な迷信研究は 近代科学的発明に 大いに貢献しました。近代科学の先駆者 ニュートンでさえ この迷信を 信じていた一人でした。実を結ぶはずの無い この迷信は 神秘主義に陥り,やがては 秘法を手に入れたと吹聴する詐術者の横行を 生み出しました。 彼らは 各国の王より 研究資金や 原材料費の 名目で多くの黄金を せしめました。黄金変成の 約束期日が近づくと 逃亡を企てるのですが,王の厳しい追跡に ほとんどが捕まり 極刑に処せられました。ベトガーは 小さい頃から 利発な子で 語学や数学を会得すると 化学に興味を持ちました。ベルリンの 薬剤師の徒弟になった ベトガーは 師から1通りの知識を 吸収すると,周りの反対を押し切って 賢者の石の秘法 発見の道へと のめり込んで行きました。
「欧州磁器戦争史 錬金術師-1 」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
祝 ホワイトデイ・フェア ( 2/12~ 3/14) 1セット限定
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シノワズリ
ヘロルトは ウィーン・パキエの窯から持ち出した フンガーの顔料や ベトガーの いがみ合う2人の高弟 ケーラーと シュテルツェルが合成した顔料に 自らも開発した顔料〔.秘密主義のケーラーは亡くなるのですが ヘロルトは 看病にかこつけて うまく臨終に立ち会い 彼の隠し金庫の鍵を盗み 顔料調合秘術書を 盗み写し 重要個所は 巧妙に破り盗り(この悪行は 15年後に発覚するのですが すでに 宮廷画家として確固たる地位を 確立しており マイセン委員会でも手出しならず 不問に付されました)自ら開発したマッフル窯で 柿右衛門に勝るとも劣らない 鮮やかな色彩の顔料16色を完成。〕を以って 彼独特のシノワズリを 確立していきました。
柿右衛門写しのシノワズリ?
オランダの東インド会社によってもたらされた白磁に 絵付けされている異郷の花の絵は 多分インドの花に違いないとして 柿右衛門描くところの日本の花を インドの花-343310と名づけました。3で始まる柄番号は シノワズリの分類でした。しかし 多彩色を考案したアールヌーボー期には 柿右衛門と判っていたらしく 柄番号451110と 4で始まるジャポネズリに分類しております。
インドの花 多彩色 451110 アンティーク
同じアールヌーボー期のこの作品に 340310とシノワズリ番号に戻っております。柿右衛門と分かっていたのに ジャポネズリにしてないのは アウグスト強襲王や ヘロルトが 柿右衛門描く処のこの絵を 東洋風散花文シノワズリに分類してたのを 柿右衛門も東洋だと強弁したいのでしょうか?しかし 無理があるのは ジャポネズリの分類があります。ただ日本の文献や インターネットを見ても 総てと言ってもいいほど シノワズリになっております。ひどいのは 華と 花の混用が散見され プロとして 興ざめです。
マイセンでは 本来 高値を呼ぶ 柿右衛門名に変更したかったのですが すでに東洋風散花文 インドの花は ブランドとして知名度高く 定着しておりましたので 名称は 継続されました。 初期の シノワズリ分類の不明を 糊塗するにも好都合でしたのでしょう。何せ 美への眼力自慢の アウグスト強襲王の柿右衛門贔屓が 柿右衛門と見抜けなかったのですから。シノワズリ ジャポネズリを確立したヘロルトも アウグスト強襲王とともに 同じ轍を踏んでおります。
柿右衛門と判ってからも インドの花としてペインターたちは 時につれ 多くの バリエーションを 生み出し 王達を楽しませました。他窯でも たくさん写され ヨーロッパ中に 大流行しました。第1次世界大戦末期 1918年に ザクセン王国は 瓦解するのですが 国立窯となっても この人気作品は 1730年ごろ以来 約3世紀 折あるごとに 作り続けられ 復刻というより 「偉大なマンネリズム」 の代表作の1つとなっております。
3人の天才ヨハンによる伝統の 復刻版
1)ヨハン・フリードリヒ・ベトガーによる ヨーロッパ 初の ポースレーン
2)ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト原画
3)ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー原作 ノイエ・アウスシュニット型 エンツゥイステッド・ハンドル
ピカピカの 新品です。 現品 即納
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マイセン 【 インドの花・縁取・340310 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
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錬金術師-1
古代文明で生まれた 賢者の石(卑金属を黄金に変える秘宝の石)
この研究は やがて 古代ギリシアや アラビアに 迷信的に 深まりました。中世科学者も その迷信を信じ 進歩著しい 科学的分析手法を用いて 追い求めました。皮肉にも 多くの一流科学者の 熱心な迷信研究は 近代科学的発明に 大いに貢献しました。近代科学の先駆者 ニュートンでさえ この迷信を 信じていた一人でした。実を結ぶはずの無い この迷信は 神秘主義に陥り,やがては 秘法を手に入れたと吹聴する詐術者の横行を 生み出しました。 彼らは 各国の王より 研究資金や 原材料費の 名目で多くの黄金を せしめました。黄金変成の 約束期日が近づくと 逃亡を企てるのですが,王の厳しい追跡に ほとんどが捕まり 極刑に処せられました。ベトガーは 小さい頃から 利発な子で 語学や数学を会得すると 化学に興味を持ちました。ベルリンの 薬剤師の徒弟になった ベトガーは 師から1通りの知識を 吸収すると,周りの反対を押し切って 賢者の石の秘法 発見の道へと のめり込んで行きました。
「欧州磁器戦争史 錬金術師-1 」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。一方 本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。
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