マイセン 【記念プレート】 1970年・マイセン市内風景 50%Off
マイセン 【記念プレート】 1970年・マイセン市内風景 50%Off
クリスマスフェア (12/12~12/25) 3枚限定
1970年2月11日 - 東京大学宇宙研、初の国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功。
銀色の円錐台部分が本体で、「黒い球体」と竜頭状ノズルはロケットの最終段である。
1970年3月14日 - 日本万国博覧会(大阪万博)開幕( - 9月13日)。
開催期間中の会場風景。中央に太陽の塔を望む。1970年4月撮影。
1970年3月31日 - 日本航空機よど号ハイジャック事件発生。赤軍派 朝鮮へ亡命。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
絵の美しさは 他の追随を 許しません。
φ26cm
1961年の 10年復刻版
1970年まで 絵皿として 発表年は マイセン社に記録されるのみで 裏面には有りませんので 飾り絵皿としても 楽しんでいただけます。この記念プレートをきっかけに年号が入りました。何故? マイセン社非公表につき 当店も公表いたしません。ご購入者には こっそりお教えします。
ロゴは1934年からのです。
1934年 ハイファーの点ロゴを改め このナチスのロゴに。
貴重な 印判手(銅版画染付)
もう10年以上前になりますか?
日本百貨店のマイセン展に いつも2~3枚のウォールプレートが出ていました。当店は それらを参考に ドイツ各地の代理店より 未使用の新品を集めておりました。 当時は よく売れましたが 日本代理店さんも 新品が無くなってから 展示販売をしなくなりました。当店でも 新品が入手しずらくなり 今は 売れてしまえば おしまいです。当店にとって マイセン代理店さんの 過去の新品上代しか 参考はありません。
マイセン 【記念プレート】 1970年・マイセン市内風景 50%Off のお求めはコチラ
どの小さい写真もクリックで拡大
裏面 ナチスロゴ拡大
マイセン 【 記念プレート 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
3人の天才ヨハン-3
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
当時名の売れた 彫刻師を以ってしても アウグスト王のお眼鏡に 叶う者無く 色々手を尽くすうちに 灯台下暗し 王は 己の宮廷彫刻家の若い助手に 天分を見出すのです。1731年 見出されたケンドラーは 案に違わず 見事な 鳥獣像を 王の磁器動物園のために 完成させました。王は 己の眼の確かさに満足し 若きケンドラーを 親方に抜擢しました。写実的迫力ある白磁像を前にして 宮廷官ヘロルトは 天才絵付師の立場が 脅かされる危機感を持ちました。眼力を賞賛された王の ケンドラーへの寵遇にも 今まで マイセンの賞賛を 一身に浴びてきたヘロルトにとって 好ましからざる事でした。しかし ヘロルトのシノワズリも 月日を経て ケンドラーの新鮮さに 叶わなくなっていました。ケンドラーを贔屓にするブリュール伯(ヴィルトシャフテン・山羊に乗った仕立て屋さんの注文主)が 「白鳥のサービス」を 注文する頃 2人の優劣は ケンドラーに軍配が上っておりました。
「欧州磁器戦争史 3人の天才ヨハン-3 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 やがて 14世紀には やはり 景徳鎮で 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
クリスマスフェア (12/12~12/25) 3枚限定
1970年2月11日 - 東京大学宇宙研、初の国産人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功。
銀色の円錐台部分が本体で、「黒い球体」と竜頭状ノズルはロケットの最終段である。
1970年3月14日 - 日本万国博覧会(大阪万博)開幕( - 9月13日)。
開催期間中の会場風景。中央に太陽の塔を望む。1970年4月撮影。
1970年3月31日 - 日本航空機よど号ハイジャック事件発生。赤軍派 朝鮮へ亡命。
アンティック ヴィンテージ店のお取り扱いは 中古品の世界ですが お熟成アインのは ピカピカの 新品です。
絵の美しさは 他の追随を 許しません。
φ26cm
1961年の 10年復刻版
1970年まで 絵皿として 発表年は マイセン社に記録されるのみで 裏面には有りませんので 飾り絵皿としても 楽しんでいただけます。この記念プレートをきっかけに年号が入りました。何故? マイセン社非公表につき 当店も公表いたしません。ご購入者には こっそりお教えします。
ロゴは1934年からのです。
1934年 ハイファーの点ロゴを改め このナチスのロゴに。
貴重な 印判手(銅版画染付)
もう10年以上前になりますか?
日本百貨店のマイセン展に いつも2~3枚のウォールプレートが出ていました。当店は それらを参考に ドイツ各地の代理店より 未使用の新品を集めておりました。 当時は よく売れましたが 日本代理店さんも 新品が無くなってから 展示販売をしなくなりました。当店でも 新品が入手しずらくなり 今は 売れてしまえば おしまいです。当店にとって マイセン代理店さんの 過去の新品上代しか 参考はありません。
マイセン 【記念プレート】 1970年・マイセン市内風景 50%Off のお求めはコチラ
どの小さい写真もクリックで拡大
裏面 ナチスロゴ拡大
マイセン 【 記念プレート 】 お宝倉庫 に買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
3人の天才ヨハン-3
3人目は ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー,天才造形師です。
当時名の売れた 彫刻師を以ってしても アウグスト王のお眼鏡に 叶う者無く 色々手を尽くすうちに 灯台下暗し 王は 己の宮廷彫刻家の若い助手に 天分を見出すのです。1731年 見出されたケンドラーは 案に違わず 見事な 鳥獣像を 王の磁器動物園のために 完成させました。王は 己の眼の確かさに満足し 若きケンドラーを 親方に抜擢しました。写実的迫力ある白磁像を前にして 宮廷官ヘロルトは 天才絵付師の立場が 脅かされる危機感を持ちました。眼力を賞賛された王の ケンドラーへの寵遇にも 今まで マイセンの賞賛を 一身に浴びてきたヘロルトにとって 好ましからざる事でした。しかし ヘロルトのシノワズリも 月日を経て ケンドラーの新鮮さに 叶わなくなっていました。ケンドラーを贔屓にするブリュール伯(ヴィルトシャフテン・山羊に乗った仕立て屋さんの注文主)が 「白鳥のサービス」を 注文する頃 2人の優劣は ケンドラーに軍配が上っておりました。
「欧州磁器戦争史 3人の天才ヨハン-3 ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー」 詳しくは コチラをクリック してください。
磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 やがて 14世紀には やはり 景徳鎮で 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
コメント
コメントの投稿
« リチャードジノリ 【ロイヤルブルー】 ティーC/S 25%Off l Home l バカラ 【マッセナ】 1344 235ハイボウル370cc 25%Off »