リチャードジノリ 【マルコポーロ レッド】 ティーC/S 40%Off
リチャードジノリ 【マルコポーロ レッド】 ティーC/S 40%Off
今だけセール (15日間) 4/29~ 5/13
伊名:レバンツ 新作 ジョヴァンニ ガリポルディ作 ベネチアシェイプ ボーンチャイナ
中世 イタリアでは 透明な白磁の美しさを タカラ貝(ポーセレンシェル)にみたて ポル
チェッラーナと呼びました。ポーセレン(磁器)の語源です。又 タカラ貝は 古代 世界各
地で 通貨として使われておりました。東洋の 神秘的な美しさの ポーセレンを その高価
さもあって 白い黄金 とも呼んで 讃えた所以です。このシリーズは 東洋の 神秘的磁器
伝来の 本質に迫るとして ご存知 ベネチア商人(日本を 黄金の国ジパンク と呼んだ)
「マルコポーロ」と日本代理店により 命名されました。東方見聞録 を著わした マルコポ
ーロは チャイナ とも呼ばれる磁器を イタリアに もたらしたからでもあります。このシ
リーズ ポースレーンと見まがう薄胎ながら ボーンチャイナであるのが 命名の趣旨からして
少し惜しまれます。
リチャードジノリ 【マルコポーロ レッド】 ティーC/S 40%Off のお求めはコチラ
どの写真もクリックで拡大
ペインター・ロゴ
リチャードジノリ 【マルコポーロ レッド】 お宝倉庫に 買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯
によって 開窯されました。
イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフ
ンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまと
せしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのです
が カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込み
をかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロ
シア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも
カオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオ
リンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリ
ンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。 次に 現存する ジノリが 1735年
フィレンツェ郊外のドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィ
ーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロ
ッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。帝立ウィーン窯のオーナー・ハプスブルク王家マリアテ
レジア王妃に 2代目ジノリ侯が 白磁と当時流行のジャポネズリ絵付けの 完成度を誇って
献上した逸品が グランデューカです。当時 白磁戦争は 国王の威信を賭けたもので 金に
飽かして 賞賛される銘品逸品が 求められました。今に至って三世紀 貴方の眼にするグラン
デューカには 計り知れない 歴史と 批評に耐える 美と 底知れない 価値が あるのです。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで
完璧な白磁を完成させております。
1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引き取り
以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。
1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい
芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
今だけセール (15日間) 4/29~ 5/13
伊名:レバンツ 新作 ジョヴァンニ ガリポルディ作 ベネチアシェイプ ボーンチャイナ
中世 イタリアでは 透明な白磁の美しさを タカラ貝(ポーセレンシェル)にみたて ポル
チェッラーナと呼びました。ポーセレン(磁器)の語源です。又 タカラ貝は 古代 世界各
地で 通貨として使われておりました。東洋の 神秘的な美しさの ポーセレンを その高価
さもあって 白い黄金 とも呼んで 讃えた所以です。このシリーズは 東洋の 神秘的磁器
伝来の 本質に迫るとして ご存知 ベネチア商人(日本を 黄金の国ジパンク と呼んだ)
「マルコポーロ」と日本代理店により 命名されました。東方見聞録 を著わした マルコポ
ーロは チャイナ とも呼ばれる磁器を イタリアに もたらしたからでもあります。このシ
リーズ ポースレーンと見まがう薄胎ながら ボーンチャイナであるのが 命名の趣旨からして
少し惜しまれます。
リチャードジノリ 【マルコポーロ レッド】 ティーC/S 40%Off のお求めはコチラ
どの写真もクリックで拡大
ペインター・ロゴ
リチャードジノリ 【マルコポーロ レッド】 お宝倉庫に 買い物籠 有ります。
どの写真もクリックで拡大
イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
次に 現存する ジノリが 1735年 フィレンツェ郊外の ドッチアに カルロ・ジノリ侯
によって 開窯されました。
イタリアで初めて磁器焼成に成功したのは 1720年 ベネツィアのヴェッツィ兄弟窯でした。
兄弟は マイセンから ウィーン窯の前身 デュ・パキエ窯を経た アルカニストを名乗るフ
ンガーの売り込みを 信じて受け入れました。フンガーは マイセンのカオリンを まんまと
せしめ 初めて磁器焼成に成功しました。(彼は 以後 報奨金を求めて 転々とするのです
が カオリンに恵まれず 一度も成功しておりません。ロイヤルコペンハーゲンへも 売込み
をかけましたが いかがわしい噂のある男として 受け入れられませんでした。流れ流れてロ
シア・ペテルブルグで エリザベータ女帝に 1744年 王立窯を 開かせました。ここでも
カオリンに恵まれず 4年で追放されました。皮肉なことにその直後に モスクワ近くで カオ
リンが 発見されました。)フンガーが 唯一 成功したヴェッツィ窯も マイセンのカオリ
ンを止められて 10年を経たずして 廃窯しております。 次に 現存する ジノリが 1735年
フィレンツェ郊外のドッチアに カルロ・ジノリ侯によって 開窯されました。侯は 帝立ウィ
ーン窯の前身 デュ・パキエ窯からヨハン・ツィルンフェルトを受け入れ 湧き上がる ヨーロ
ッパ白磁戦争に 堂々と参戦しました。帝立ウィーン窯のオーナー・ハプスブルク王家マリアテ
レジア王妃に 2代目ジノリ侯が 白磁と当時流行のジャポネズリ絵付けの 完成度を誇って
献上した逸品が グランデューカです。当時 白磁戦争は 国王の威信を賭けたもので 金に
飽かして 賞賛される銘品逸品が 求められました。今に至って三世紀 貴方の眼にするグラン
デューカには 計り知れない 歴史と 批評に耐える 美と 底知れない 価値が あるのです。
当初 灰色味がかっていた白磁も 1790年ごろからリモージュのカオリンを 用いることで
完璧な白磁を完成させております。
1834年には スペイン王カルロ3世の カポデモンテ窯の 閉窯に際し モールド類を引き取り
以後 ジノリが カポデモンテを引き継いでおります。
1869年には リチャード社を 合併して 今の リチャードジノリ社になりました。
特筆されることは 1920年頃 アート・ディレクターに ジオ・ポンティを招聘して 新しい
芸術性豊な 作品群を ものにして 名声を高めたことです。
コメント
コメントの投稿
« リチャードジノリ 【ベッキオホワイト】 24cmクレセント 40%Off l Home l ロイヤルクラウンダービー 【チャッツワース】 ティーポット (M) 50%Off »