欧州磁器戦争史 ウェッジウッド-2
欧州磁器戦争史 ウェッジウッド-2
ネオクラシックを代表するジャスパーと 英国ボーンチャイナ
ローマの カメオガラスを模して 4年の歳月 1万回にも及ぶ 焼成実験の結果 セッ器
藍地に 白いレリーフを貼付する ジャスパーウェアを発明(1774年) 宝石並みの扱いを
受けるほど 男女を問わず 英国人に 憧れ求められました。当時 ギリシヤ,ローマ遺跡の
発掘とあいまって 典雅なロココから 端正なネオクラシックが 勃興の中 ジョサイアの
古代文明への博学と憧憬が 生み出した ジャスパーウェアは 時流に乗って ヨーロッパ
中を席捲しました。磁器に先駆けたマイセンやセーブルを襲ったこの猛威を前に マイセン
らは なす術も無く かえって ビスク焼きで後追いするほどでした。
ポートランドの壷
古代ローマ(紀元前27年~紀元14年頃)作のカメオガラス。1582年 古代ローマ皇帝の墓所
で 発掘。めぐりめぐって英国国宝となった この壷を 5年の歳月をかけて 1790年 ジャ
スパーウェアで ジョサイアが 完全復刻に成功。彼の名声は 弥が上にもまし 彼の誇り
の象徴となつた ポートランドの壷が 末永く ブランドロゴに採用されております。
英国ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いく
つかの窯で 細々と試みられていました。一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤
の末 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。1795年頃 この
軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに1819年
現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの
開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・
スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立
クィーンズウェアに続く このジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジ
ョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(17
80年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと
大幅に遅れることに なりました。しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず
1828年には 取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再
チャレンジは 1878年の遅きになりました。やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイル
ドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターン
ブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。
現在のパターンは 1965年発売)を はじめ 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しい
ファインボーンチャイナを 完成させました。
余談になりますが ウェッジウッド家の科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」
のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアが アストバリーの地で サラと結婚し 2人の間
に儲けた 娘スザンナの子が チャールズ・ ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)
でも有名で 世に喧伝されました。
ネオクラシックを代表するジャスパーと 英国ボーンチャイナ
ローマの カメオガラスを模して 4年の歳月 1万回にも及ぶ 焼成実験の結果 セッ器
藍地に 白いレリーフを貼付する ジャスパーウェアを発明(1774年) 宝石並みの扱いを
受けるほど 男女を問わず 英国人に 憧れ求められました。当時 ギリシヤ,ローマ遺跡の
発掘とあいまって 典雅なロココから 端正なネオクラシックが 勃興の中 ジョサイアの
古代文明への博学と憧憬が 生み出した ジャスパーウェアは 時流に乗って ヨーロッパ
中を席捲しました。磁器に先駆けたマイセンやセーブルを襲ったこの猛威を前に マイセン
らは なす術も無く かえって ビスク焼きで後追いするほどでした。
ポートランドの壷
古代ローマ(紀元前27年~紀元14年頃)作のカメオガラス。1582年 古代ローマ皇帝の墓所
で 発掘。めぐりめぐって英国国宝となった この壷を 5年の歳月をかけて 1790年 ジャ
スパーウェアで ジョサイアが 完全復刻に成功。彼の名声は 弥が上にもまし 彼の誇り
の象徴となつた ポートランドの壷が 末永く ブランドロゴに採用されております。
英国ボーンチャイナ
英国では 磁土(カオリン)の産出がなく 硬質磁器を作るのに 大陸から輸入して いく
つかの窯で 細々と試みられていました。一方で カオリンに代わるものを求めて 試行錯誤
の末 1749年 トーマス・フレイが 牛骨を焼いた骨灰にたどり着きました。1795年頃 この
軟質磁器の 工業製品化に成功した1人が ジョサイア・スポード二世でした。さらに1819年
現ザロップで フェルスパー(長石)が発見され 多くの窯で フェルスパー・ポースレーンの
開発競争の中 この時代を リードしたのが 又 逸早く工業製品化に成功した ジョサイア・
スポード二世でした。英国ボーンチャイナ確立
クィーンズウェアに続く このジャスパーウェアの 大ブレークが 先見の明あるはずの ジ
ョサイアの目を曇らしたのか 後に隆盛を見る ボーンチャイナの開発に 余り関心なく(17
80年 ブリストル硬質磁器窯の 買収提案を拒絶)結局ジョサイア二世による 1812年にと
大幅に遅れることに なりました。しかしこれとても 先発するスポード社などに 及ばず
1828年には 取りやめました。今 ウェッジウッドの 中核をなすボーンチャイナへの 再
チャレンジは 1878年の遅きになりました。やがて 研究熱心なウェッジウッドでは ワイル
ドストロベリー(初代 ジョサイア・ウェッジウッドが残した 8冊 約10000点の パターン
ブック 初版1769年頃 再版1810年 から 1806年に発表された ワイルドストロベリー。
現在のパターンは 1965年発売)を はじめ 多くのヒット作の 中核的素材となる 美しい
ファインボーンチャイナを 完成させました。
余談になりますが ウェッジウッド家の科学研究的優秀さは 中世最高の科学者「進化論」
のダーウィンを 血脈としたこと(ジョサイアが アストバリーの地で サラと結婚し 2人の間
に儲けた 娘スザンナの子が チャールズ・ ダーウィン すなわちジョサイアの孫になります)
でも有名で 世に喧伝されました。
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