欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-2
欧州磁器戦争史 KPM(王立窯) ロイヤル・ベルリン-2
1756年 大王は イギリスを味方に ロシア・フランス・ザクセンを敵に回し 7年戦争の火蓋
を切りました。鎧袖一触 又も ドレスデンを 占領しました。マイセン窯の設備や職人を ベル
リン窯に移し 大王に相応しい銘窯を 考えました。しかし 工場は 既に もぬけの殻でした。
大王は ザクセンの大臣ヘルビッヒに アルブレヒト城ごと 賃貸し マイセン窯を 再興させま
した。再興なった窯に 自分用の磁器を 大量に作らせ 搾取するのです。マイセンの伝統の
灯を消すまいと 残っていたケンドラーや職人をベルリンに引き抜こうとし 占領者の権力で
多くの職人を プロイセンのために働かせました。(フリードリヒ大王は ザクセンの若き女性を
自国プロイセンの辺境へ拉致し 嫁の来ての無い男達に 妻合わすのです。18世紀の国際
法にさえ 明白に違反する行為を 平然とやってのけております。)
祖父の代からの 錬金術師ベトガーにまつわる 積年の恨みとはいえ サンスーシーの三悪人
と呼ばれた 頭目の 面目躍如足るところです。
1759年 大王は 旗色一変して 各地で大敗を喫し イギリスの援助も打ち切られ 死を
覚悟したほどでした。ところが幸運にも ロシアのエリザベータ女王(王立ペテルスブルグ窯
の創立者)の死去を機に 1762年 ロシアがプロイセン側へ 寝返る方針転換に 大王は救わ
れました。
その前年 大王は商人ゴッコウスキーに ベルリン窯の再開を 下命しました。ゴッコウス
キーは マイセンから引き抜いた職人達の 尽力により 大王の満足する作品を 完成させま
した。しかし 大王の威信をかけた 作品作りに 莫大な資金を費やし 破産の危機に瀕しま
した。大王は面子にかけて ゴッコウスキーを助ける為に 窯を買収し ロイヤル・ベルリン
窯を 設立しました。1763年 7年戦争 戦勝終結 の年でした。荒廃した国家再興に
大王は 美術磁器の 制作に 自ら携わり ジャーマンロココを確立し 巨利を得たのです。
ビーダーマイヤー時代には カール・フリードリヒ・シンケルを得て 窯は 時のリーダーと
して 名声は上る一方でした。それは セーヴルと共に マイセンをしのぐ勢いでした。
その後も ネオクラシック期には ベルリン・エンパイアスタイル, ビーダーマイヤー期のカルル
・フリードリヒ・シンケルによる 斬新な実用デザイン, 短期間ながら 世界の美術界に多大の
影響を与えたアールヌーヴォー期には いち早くユーゲント・シュティル(バウハウスへ影響)を
確立し 造型・装飾において 他の追随を許さぬほどの 銘窯となりました。今も昔変わらぬ
全工程手作りを一貫しております。近年 1年ほど 工場の制作が 止まったことがあります。
資本家側が 大手マイセン並みの機械化をなし コストカットを企図したため 文化・芸術の
伝統を 自負するマイスター達が 叛旗を翻したのです。ベルリン市は マイスター側に立ち
資本家たちに譲歩を 求めました。王立窯の美術食器は 元来 採算無視を承知の上 男の
ロマンから窯を持った資本家側が折れ 今も昔変わらぬ 全工程手作りを一貫しております。
1756年 大王は イギリスを味方に ロシア・フランス・ザクセンを敵に回し 7年戦争の火蓋
を切りました。鎧袖一触 又も ドレスデンを 占領しました。マイセン窯の設備や職人を ベル
リン窯に移し 大王に相応しい銘窯を 考えました。しかし 工場は 既に もぬけの殻でした。
大王は ザクセンの大臣ヘルビッヒに アルブレヒト城ごと 賃貸し マイセン窯を 再興させま
した。再興なった窯に 自分用の磁器を 大量に作らせ 搾取するのです。マイセンの伝統の
灯を消すまいと 残っていたケンドラーや職人をベルリンに引き抜こうとし 占領者の権力で
多くの職人を プロイセンのために働かせました。(フリードリヒ大王は ザクセンの若き女性を
自国プロイセンの辺境へ拉致し 嫁の来ての無い男達に 妻合わすのです。18世紀の国際
法にさえ 明白に違反する行為を 平然とやってのけております。)
祖父の代からの 錬金術師ベトガーにまつわる 積年の恨みとはいえ サンスーシーの三悪人
と呼ばれた 頭目の 面目躍如足るところです。
1759年 大王は 旗色一変して 各地で大敗を喫し イギリスの援助も打ち切られ 死を
覚悟したほどでした。ところが幸運にも ロシアのエリザベータ女王(王立ペテルスブルグ窯
の創立者)の死去を機に 1762年 ロシアがプロイセン側へ 寝返る方針転換に 大王は救わ
れました。
その前年 大王は商人ゴッコウスキーに ベルリン窯の再開を 下命しました。ゴッコウス
キーは マイセンから引き抜いた職人達の 尽力により 大王の満足する作品を 完成させま
した。しかし 大王の威信をかけた 作品作りに 莫大な資金を費やし 破産の危機に瀕しま
した。大王は面子にかけて ゴッコウスキーを助ける為に 窯を買収し ロイヤル・ベルリン
窯を 設立しました。1763年 7年戦争 戦勝終結 の年でした。荒廃した国家再興に
大王は 美術磁器の 制作に 自ら携わり ジャーマンロココを確立し 巨利を得たのです。
ビーダーマイヤー時代には カール・フリードリヒ・シンケルを得て 窯は 時のリーダーと
して 名声は上る一方でした。それは セーヴルと共に マイセンをしのぐ勢いでした。
その後も ネオクラシック期には ベルリン・エンパイアスタイル, ビーダーマイヤー期のカルル
・フリードリヒ・シンケルによる 斬新な実用デザイン, 短期間ながら 世界の美術界に多大の
影響を与えたアールヌーヴォー期には いち早くユーゲント・シュティル(バウハウスへ影響)を
確立し 造型・装飾において 他の追随を許さぬほどの 銘窯となりました。今も昔変わらぬ
全工程手作りを一貫しております。近年 1年ほど 工場の制作が 止まったことがあります。
資本家側が 大手マイセン並みの機械化をなし コストカットを企図したため 文化・芸術の
伝統を 自負するマイスター達が 叛旗を翻したのです。ベルリン市は マイスター側に立ち
資本家たちに譲歩を 求めました。王立窯の美術食器は 元来 採算無視を承知の上 男の
ロマンから窯を持った資本家側が折れ 今も昔変わらぬ 全工程手作りを一貫しております。
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